「少林少女」2008/05/01 00:27:33

冒頭からテンポも良く、凛(柴崎)が先生(江口)から、何故、少林拳で闘う? と問われた時には、そこまで掘り下げたドラマが展開されるのか、とゾクゾクした。
だが、サッカーの試合を通して凛が答を見つけてゆくのは、いささか物足りないけれども、よしとしよう。
しかし、そこから先はストーリーが強引に進んでいって、クライマックスはブルース・リー「死亡遊戯」(だったか?)のような展開になってしまう。
これでは、敵の仲村がどうして悪い奴なのかも具体的に明かされないままだ。雰囲気的に、こいつは悪い奴だ、と示しているだけ。
それでもまぁまぁ、CGとアクションで見せるのでそれなりに面白いが、勿体無いなぁ、と思う。

それと、仲村はラストではちゃんと自首して欲しい。
それだけのことはやっているのだから。

相棒〜劇場版〜2008/05/04 00:12:28

このドラマがそんなに話題になっているとは知らず、先日、今シリーズの最終話の2時間スペシャルを観たところ、これが、死刑制度から冤罪、裁判員制度などの今日的テーマを素材にきっちり面白く作ってあったのでビッ
クリ!

これは映画も面白いかも、と映画館で予告編を観ると、どうもイラクで日本人学生が人質になって殺された事件をベースにしているようです。

ますます、期待を持って先日、料金が千円になる毎月のファースト・デイ、に観に行ったのですが……。

残念!
こういうテーマを選ぶ意気込みは良し。しかしストーリーを詰め込み過ぎた、というか作り方を誤った観がします。
ネタばれになってしまいますので詳しくは言いませんが、この犯罪の動機は怨恨であり、義憤です。
一方、このシリーズは毎回、水谷豊演じる杉下右京の冴えた推理を売り物にしており、映画でもこの面を出そうとしたのか、コンゲームの趣きを濃くしています。

この、怨恨、義憤が元になっている、ということと、その犯人がコンゲームを演じる、というところにどうしても違和感を感じてしまいます。
勿論、その点にも一応、理由付けはされています。されているのですが、そこまで考えるのは、やりすぎでは? という気もしてしまったのです。

そして犯人の人物像が、あれほどの犯罪をなした人物に思えない、ということも感じました。

他にも○○がマラソンに参加したのには理由があったのか、とか、娘が事件前に被害者の元を訪ねていたのは何故なのか、など、不明の点も幾つかあります。

とはいえ、そういう違和感を感じつつも、全体としては退屈することも無く、それなりに楽しめる内容だとは思いました。

このシリーズ、若い人にも人気があるようで、先日、土曜深夜のスマステという香取慎吾(?漢字忘れました^^;)の番組に、この映画の宣伝で水谷豊が出てきたときも、質問メールの多くが10代だったのに驚きました。

私が観たのは22時からの回だったのですが、ファーストデイだったこともあるのか結構、お客さんは来ていて、高校生や若い女性連れも目立っていました。

映画の出来自体は今ひとつだったと思いますが、この内容は、是非、多くの日本国民に観て欲しい、と思う内容です。
ドラマの中で、水谷と岸辺一徳が話をするシーンがあります。
「人は忘れるものだ。忘れるから生きてゆける」という岸辺に対して、「忘れてはいけないものがあります」と水谷は答えます。
この映画が、あの時、政府や一部マスコミが煽り、それに多くの国民が簡単に踊らされヒステリックに叫びながら、今では(政府も一部マスコミも国民も)そんなことはなかったかのように振舞っている、今の日本のあり方に疑問符を呈じようとしているのは、明らかです。

映画「靖国YASUKUNI」を観て2008/05/17 11:35:45

「靖国YASUKUNI」は、10年来、日本に住んでいる李監督が、約10年間に亘り、8月15日の靖国神社を撮り続けてきた作品だ。
毎年8月15日には靖国神社の様子がTVニュースでも報じられたりするが、そこで実際にどんな風景が広がっているのか、私を含め、この作品で初めて知る人が殆どだろう。

旧軍の軍服姿で当時の軍人になりきって振る舞う人たちが目立つ。彼らは、完全に自分たちの世界に閉じこもっているように思える。
自分たち(の父や祖父)が他国を侵略し、そこで非道を働いたことを認める事が出来ず、それらの行為を正当化出来るストーリーにしがみつこうとしているように、私には見える。
戦争で死んで行った兵士たちは、指導者を除いては、加害者であり被害者だった。だが、その事実を受け入れる事は辛い事だ。だから、靖国神社に集まる者たちは、そこに祀られた人たちを「英霊」として崇める。
彼(女)らの中にあるストーリーは、戦争で死んだ兵士たちは「祖国のために殉じた」「英霊」でなくては成立しないからだ。
それは理屈ではない。だからこそ、始末が悪い。右翼がすぐに脅迫や実際の暴力行為に走るのも、だからなのだ、と靖国での彼(女)らの様子を見て分かった。
それは、思想や言論と言ったようなものではないのだ。

そういう人たちの色んな生態を観る事が出来るのも、この作品の観るべき点だが、その他に、台湾の原住民・高砂族の人たちの話や浄土真宗遺族会事務局長・菅原氏の話を聴く事が出来るだけでも、この映画を観る価値がある。
特に高砂族の女性の言葉は傾聴に値し、その怒りは聴く者の胸を打つ。彼女の言葉に反論出来る日本人が果たしているだろうか? と思う。

ただ、観ていて気になったのは、カメラがしょっちゅうブレることと構図が決まらない事だ。勿論、ドキュメンタリーだから、元々決まった構図など基本的にあり得ないのだが、それでも撮影に慣れてくれば、とっさの勘や判断がついてこようというもの。
それにしては、何故ここでここまで撮らない? とか必要以上にブレるカットが目立つ。

そして靖国刀の刀鍛冶(刈谷氏)の話だが、恐らく李監督は、靖国を撮り続ける中で何か、核となるものが欲しかったのではないか? と思う。
映画の核となるもの、表現の核となるもの---。
李監督はそれを刈谷氏に求めた訳だが、どうもそれはうまく行っていないような気がする。
時に無邪気な笑顔を見せる他は無口な刈谷氏の映像が、どうも靖国神社としっくりこないのだ。刈谷氏と靖国神社がどのように繋がっているのかはクレジットや映像で示され、理屈では分かる。だが、精神的にその両者の間にどのような思いが通じているのか、が見えてこない。
映画の中で、刈谷氏が逆に李監督に訊く所がある。「小泉総理の靖国参拝をどう思うか?」と。
それに対して李監督は結局答えない。
何故、答えなかったのだろう? 当然、監督自身の思いはあるはずだ。
勿論、その思いは刈谷氏の思いとは合わない筈だ。
だが、それをぶつけ、李監督と刈谷氏との間に回路を作ってゆくところに、そこから靖国へと繋がる道が出来ていったのではないか? という気がするのだ。

このように、この映画はドキュメンタリー映画としては決して良い出来とは言えないと思うが、しかしながら、そこには観るべき点が間違いなくある。

「靖国」上映妨害運動のきっかけとなったのは稲田代議士の試写会要求だ。彼女は自らの行為がこのような事態を招くとは考えていなかったと言っているが、弁護士までやっている聡明な人物が、そんなことに考えが及ばなかったとは思えない。
更に彼女の仲間の有村代議士は、刈谷氏が映画で上映される事を拒否している、と国会で追求までしている。有村代議士はこれまでにも、映画やTVのドキュメンタリー作品について、登場人物たちの人権が侵害されることに対して「擁護」活動を行ってきたのだろうか? 突然、この作品についてだけそういう調査をしたのだとしたら、おかしな話だ。
(ドキュメンタリー作品を撮ってゆく中での監督と被撮影者との間では、時間をかけ、関係が築かれてゆくはずだ。それこそがドキュメンタリーにとっての核と言ってもいい。それに対し、政治家が、撮影後にその出演者だけに一方的に接触し、何らかの働きかけを行うような行為は、作品と両者の関係を土足で踏みにじるようなものだ)
彼女らは文化庁外郭団体からの補助金を問題視している他に、この映画が、南京大虐殺の「真偽不確かな」写真を使っている、として、そのことを批難しているが、本当に理由はそれだけなのだろうか?
彼女らがこの映画を嫌っている本当の理由は、高砂族の女性が発している明確な靖国(そして日本)に対する批判に、何も言い返すことが出来ないからではないか? だから、この映画を、一般国民に見せたくなかったのではないか?

彼女らは、そして8月15日の靖国神社に集う人たちは、「英霊」を敬え、と口癖のように言う。だが、南洋諸島には未だに、戦争で死んで行った何千と言う人たちの遺骨が、強い日差しと風雨に晒されたまま、置き去りにされている。
本当に「英霊を敬う」なら、靖国などに集まるのではなく、まず、それらの遺骨を収集し手厚く葬ることが先ではないか?
その中で、彼(女)らがどんな場所で、どんな状況で、どんな死に方をしていったのかをしっかりと記憶に刻む事。まずそれを行う事が、先の戦争で死んで行った人たちへの、第一の供養ではないか?

最後に一つ気になった点。
映画の中で、靖国参拝推進の大会で反対を表明した若者が、血だらけになって警官たちにパトカーに押し込められるシーンがある。
そこまでの経緯から考えて、この若者は右翼に暴行を受けたと思われるのだが、映画の中では若者が怪我をするシーンは映っておらず、警官たちが犯人を捕まえるシーンも撮られていない。
一体、警察は暴行を加えた犯人を捕まえたのか?、そして、警察には行かない、と言い張る若者を力づくでパトカーに押し込めて連れ去る警察のやり方は、果たして妥当なのか? 観ていて甚だ気になった。

テロリストに対する「断固とした態度」・・・2008/05/19 00:21:51

今日(18日)は県内の各地区で体育祭があった日だった。
私の地区でもあったが、しかし、県内の2地区では体育祭が中止になった。

「体育祭を行ったら、子供らに危害を加える」という脅迫文が送られてきたのだ。
言うまでもなく、その2地区は直ちに体育祭の中止を決定した。
もし私の地区でもそのような脅迫が行われたら、非常に残念で悔しいだろうが、体育祭の中止を決定せざるを得ないだろう。
だが、そう思いつつ、私は、あれ? と思った。

従来、アメリカ政府は誘拐や脅迫事件に対しては、譲歩する事なく、断固とした態度を取る、という政策を採っているが、911以後、日本政府もアメリカ政府に感化されたように同じ事を言い続けている。
そして実際に、戦争下のイラクで日本人青年が誘拐された際には、自衛隊のイラクからの撤退という犯人たちの要求を拒否し、青年は殺された。この時、日本政府に批判的な言動を行った青年の家族には、政府のみならず日本中からバッシングがなされた。
少なくない国民が、政府の採った態度を是としたのだ。

だが、と思う。
今回の体育祭中止を要求した行為は、それらの誘拐や脅迫事件と全く同じものではないか? 理不尽な暴力を示唆して物事を強要するという卑劣な点において、両者は全く同じものだ。
ならば、今回の件についても私たちが採るべき態度は、体育祭を敢行し、もしそれで子供たちに被害が出たら、徹底して犯人を捉えることではなかったか?

だが、私たちはそうしなかった。勿論、それは、もしものことがあったら取り返しがつかないからだ。私も、その決定には同意せざるを得ない。

イラクの人質事件の時、日本政府は「断固とした態度」を表明し、国民の多くもそれを支持した。
だがそれは、そのことによるデメリット、被害が、自分たちの身近な事ではないこと、他人事だったからなのだ、と、気付かされた。

「隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS」2008/05/21 02:13:36

言わずと知れた黒澤明作品のリメーク。
だが、予想外に良くてビックリ! 予想外に長澤まさみが良くてビックリ!!

とは言え、満点にはとてもほど遠いのだけど、長澤まさみを結構、凛々しく、身を隠している汚さを表しながらしっかり綺麗に撮っているのに驚き。こういう点すらちゃんと出来ていない映画が多い方が問題なのかも知れないが。
椎名拮平と阿部寛は貫録十分。
長澤演じるゆき姫が旅の途中で民衆の辛さにショックを受ける件もしっかり押さえている。
監督は特撮出身だけあってか、構図の採り方が上手い。特にダイナミックな構図がいい。

ただ、松本潤と宮川演じる山の民が、片方は面も中身もカッコよくて、もう片方はどちらも情けない、というのがいかにも図式的でちょっと・・・。
それと、これが大きな問題だと思うが、全体的にテンポはまあまあで観ていて飽きないのだが、もう一つ、のめり込ませるほどの深みがない。アクションにもドラマにも。

「全然大丈夫」を観ました2008/05/23 01:29:29

憩うとかユルい、ということと、いい加減、っていうのとは違うと思うのですがねぇ。
憩う、とかユルい、という場合、大抵はその裏側に、これまでにその人たちが経験してきたのであろう修羅場の存在が垣間見えるものです。
その上での憩い、ユルさだからこそ、人を引きつけて止まないのです。

この映画、観ていて、何を描きたいのか、だから全く分かりませんでした。白石佳代子には驚いたけど。
面白くなりだしたのは、木村扮するあかりが田中演じる青年と出会った辺りから。
何をやっても上手くゆかず、生きる術を見出せずにいた若者が、何(誰)かと出逢う事で、自分で生きてゆく力を得て変わってゆく。
これまでにも映画の中で描かれてきたテーマですが、あかりにそれが表されています。
この映画の主人公は荒川良良でなく、木村佳乃だったのですね。
この映画の初日舞台挨拶で、荒川が機嫌悪かったそうですが、そのせいだったのかも知れない。

突然、鳥居みゆきが出てきたのにもビックリした。

覚え書き「すきなコト」2008/05/27 02:10:01

たとえそれが「すきなコト」であっても、

自分のためだけにやるコトだったら続かない。

人は、誰かに必要とされた時、パワーが出る。

よろこばれた時、満足感がある。

人のためになにかをすると しあわせなキモチになる。

つまり、自分がしあわせになるために、

誰かの役に立つことをする。

そういう循環。


『みえない未来相談室。 すきなコトを仕事にする方法』(k.m.p著 河出書房新社)より
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