「彼の死の意味」(小田実)より2008/08/11 00:50:05

「彼の死の意味」(1971年発表----三島由紀夫の自決に対して)
ーー『「難死」の思想』(小田実著:岩波書店刊)所収
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 三島氏は失敗に終った二・二六クーデタの青年将校たちを大変に賛美した。彼にとって事件をもっとも象徴するイメージは、その日の雪だった。雪は白く、まるで青年将校たちの純粋性を象徴するかのように白く、現実の世界の全てを瞬間の美しさでおおう。三島氏はある作品の中でそれをたくみに説得的に描いている。しかし雪はとけはじめ、汚れ、そして、企てられた反乱そのものをふくめて、現実世界の裏面があらわに顔を出す。こうしたすべてについて、彼は注意深く言及をさけた。私は三島氏がかつて、蜂起参加を命令され、なにも知らされずに乱に加わった兵士たちの運命について考える時間を持ったかどうか疑わしく思う。反乱の失敗ののち、彼らは満州か中国に送られて、そこでただ中国人との戦闘で殺されるためにだけ生きた。三島氏の主な関心は青年将校たちにあり、彼らの私心のない天皇への忠誠は、三島氏の生き方だけでなく日本人すべての生き方の指導原理でなくてはならない、と彼は信じた。
 第二次世界大戦が終わりに近づくにつれて、人々は空襲のなかで虫ケラのように死んだ。自然の災害で人々が死んで行くのと同じように。私は十三歳の少年として明日は自分が黒焦げの死体になるかも知れないとおそれながら、この悲劇を目撃した。私が生まれ育った大阪にとりわけはげしい大空襲のひとつがあったのは、日本の降伏の公式発表があったつい一日前のことだった。たくさんの人々が死んだ。そして、死体がばらばらにちぎれて散乱しているなかで、私は一枚のビラをみつけた。それはアメリカの爆撃機が落としたもので、日本人に宣言していた。「あなたがたの政府は降伏した。戦争は終わった!」私は自分に問いかけていた。この人たちはみんな、何のために死んだのだろう。まったく無意味な死だった。
 戦後、私はしだいにこの無意味な死のほんとうの意味を発見していった。国家と人びとのあいだに、大義名分と個人の生き方のあいだに、そして、もちろん、天皇と我々一般市民のあいだに、あきらかな裂け目を見ることで。三島氏は同じ無意味な死と裂け目を見たに違いない。けれども彼は解決しようもないそうした裂け目を見つけ出していても、決してその意味を理解しなかった。裂け目そのものに、美学的であれ政治的であれ彼の思考の基礎をおくことの代わりに、彼は後者を前者に従属させることでその裂け目を満たそうとした。ここで私は三島氏からはっきりと別れる。三島氏の陣営と(おそらく佐藤や中曽根の陣営も)、私の属する陣営はことなっている。私のほうのそれは、明快なイデオロギーのことばでは説明はつかないが、その一番いい名前は、たぶん「人びとの陣営」だろう。

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