「誰も守ってくれない」 ― 2008/12/13 02:04:59
2008年12月12日(金)/テアトルサンク
★★★★☆(★5つで満点)
製作:2008年度
監督:君塚良一
脚本:君塚良一、鈴木智
出演:佐藤浩市、志田未来、松田龍平、石田ゆり子、佐々木蔵之介、柳葉敏郎、木村佳乃、津田寛治、
================================
『犯罪者家族の保護』
---未成年者による凶悪事件が発生した時、---
---警察が犯罪者の家族を保護する場合がある。---
---過去の事件で、犯罪者の家族がマスコミから非難され、---
---自殺したケースが何度もあったからである。---
---この件について、警察は公には認めていない。---
18歳の兄が幼い少女の殺人犯として逮捕されてしまう。
その15歳の妹が志田未来。
彼女をマスコミやネットの糾弾から守るのが、刑事の佐藤浩市。
兄が殺人犯として逮捕されたことから家族はバラバラになり、その中で母親も自殺してしまう。
15歳の少女が受け止めるには過酷過ぎる現実。
その彼女を守る刑事は、3年前に事件を起したことが今も心の傷となり、中学生の娘がいる妻とは離婚間際になっている。
刑事は少女を見つめながら、自分の家族のことを重ね合わせずにはいられない。
社会から追われ、はじき出されてゆく少女が、これからどうして生きて行くべきなのか、刑事にも、誰にも答えは出せない。
ただ、彼女がその人生を受け止めて行けるように、生きて行く気持ちを持てるように、力を与えたい。
そのためには、現実を彼女が受け入れられるようになるまで、ただ、傍にいる事。
どんなに彼女が自分を傷つけようとしようとも、それを受け入れ、傍にいること。
その刑事の気持ちが、その行動で、スクリーンから伝わってくる。
映画は丹念に、その二人を描いて行く。
魔女狩りのように彼女(犯人の家族)を追うマスコミや、マスコミに火を付けられ、そこから更に暴走して行くネット社会の狂気を描きながら、その中を堪えて行こうとする二人を。
この映画は解決は呈示しない。
少女がやっと、刑事に心を明かしたところまでを描いて、このドラマは終る。
少女がこの先、どう生きて行くのか、どう生きて行って欲しいのか、そのことを想いながら、私たちは取り敢えずの「終わり」を受け入れるしかない。
実際には、兄の逮捕という事件から数日間に起こったより遥かに多くの悲しみや苦しみが、これから、少女の人生には起こるだろう事を思わずにはいられないから、
(その、これからのために)刑事が少女のためにおこなったこと、少女が刑事から得たこと、その回りで彼(女)を見守っていた人たちのことが思われ、
その重さに感動した。
丹念にそのありようを描いたこの映画に、感動した。
冒頭の、一切のセリフ無し、映像とBGMのみで、舞台となる家族の状況と、そこに今、何が起こりつつあるのかを示してゆくシーンも見事だ。
監督は「踊る大捜査線」の脚本を手がけた君塚良一で、監督作品はこれが3本目。
「踊る大捜査線」の取材中に、容疑者の家族を保護する、という警察の仕事があることを知り、企画を温めてきたそうだ。
映画の企画が小説やマンガなどの原作に依ったものが殆どを占める昨今、オリジナルでこのような立派な作品を為したことを強調したいし、もっとオリジナル作品が増えて欲しいと思う。 だから、この映画には殊の外、ヒットして欲しい。
因みに、英語でのタイトルは「Nobody to watch over me」。
リドリー・スコット監督、トム・ベレンジャー、ミミ・ロジャース主演で「誰かに見られてる」という作品があり、この原題が「Someone to watch over me」。
これは殺人現場を見てしまったミミ・ロジャースを刑事のトム・ベレンジャーが犯人から守る、というストーリー。
ストーリーが似通っていることから、ここから原題を取ったのかもしれない。
リドリー・スコット監督作品では、「Someone」とは犯人のこと。 だがさしずめ、この君塚作品では、主人公の二人は犯人では無く、マスコミ、ネット社会という「Someone」に監視されて(見られて)いる。
「Someone to watch over me 誰かに見られている」が、「Nobody to watch over me 誰も守ってくれない」
それが、今の日本なのだろう。
福井では、テアトルサンクで、2009年1月24日から上映。
★★★★☆(★5つで満点)
製作:2008年度
監督:君塚良一
脚本:君塚良一、鈴木智
出演:佐藤浩市、志田未来、松田龍平、石田ゆり子、佐々木蔵之介、柳葉敏郎、木村佳乃、津田寛治、
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---未成年者による凶悪事件が発生した時、---
---警察が犯罪者の家族を保護する場合がある。---
---過去の事件で、犯罪者の家族がマスコミから非難され、---
---自殺したケースが何度もあったからである。---
---この件について、警察は公には認めていない。---
その15歳の妹が志田未来。
彼女をマスコミやネットの糾弾から守るのが、刑事の佐藤浩市。
兄が殺人犯として逮捕されたことから家族はバラバラになり、その中で母親も自殺してしまう。
15歳の少女が受け止めるには過酷過ぎる現実。
その彼女を守る刑事は、3年前に事件を起したことが今も心の傷となり、中学生の娘がいる妻とは離婚間際になっている。
刑事は少女を見つめながら、自分の家族のことを重ね合わせずにはいられない。
社会から追われ、はじき出されてゆく少女が、これからどうして生きて行くべきなのか、刑事にも、誰にも答えは出せない。
ただ、彼女がその人生を受け止めて行けるように、生きて行く気持ちを持てるように、力を与えたい。
そのためには、現実を彼女が受け入れられるようになるまで、ただ、傍にいる事。
どんなに彼女が自分を傷つけようとしようとも、それを受け入れ、傍にいること。
その刑事の気持ちが、その行動で、スクリーンから伝わってくる。
映画は丹念に、その二人を描いて行く。
魔女狩りのように彼女(犯人の家族)を追うマスコミや、マスコミに火を付けられ、そこから更に暴走して行くネット社会の狂気を描きながら、その中を堪えて行こうとする二人を。
この映画は解決は呈示しない。
少女がやっと、刑事に心を明かしたところまでを描いて、このドラマは終る。
少女がこの先、どう生きて行くのか、どう生きて行って欲しいのか、そのことを想いながら、私たちは取り敢えずの「終わり」を受け入れるしかない。
実際には、兄の逮捕という事件から数日間に起こったより遥かに多くの悲しみや苦しみが、これから、少女の人生には起こるだろう事を思わずにはいられないから、
(その、これからのために)刑事が少女のためにおこなったこと、少女が刑事から得たこと、その回りで彼(女)を見守っていた人たちのことが思われ、
その重さに感動した。
丹念にそのありようを描いたこの映画に、感動した。
冒頭の、一切のセリフ無し、映像とBGMのみで、舞台となる家族の状況と、そこに今、何が起こりつつあるのかを示してゆくシーンも見事だ。
監督は「踊る大捜査線」の脚本を手がけた君塚良一で、監督作品はこれが3本目。
「踊る大捜査線」の取材中に、容疑者の家族を保護する、という警察の仕事があることを知り、企画を温めてきたそうだ。
映画の企画が小説やマンガなどの原作に依ったものが殆どを占める昨今、オリジナルでこのような立派な作品を為したことを強調したいし、もっとオリジナル作品が増えて欲しいと思う。 だから、この映画には殊の外、ヒットして欲しい。
因みに、英語でのタイトルは「Nobody to watch over me」。
リドリー・スコット監督、トム・ベレンジャー、ミミ・ロジャース主演で「誰かに見られてる」という作品があり、この原題が「Someone to watch over me」。
これは殺人現場を見てしまったミミ・ロジャースを刑事のトム・ベレンジャーが犯人から守る、というストーリー。
ストーリーが似通っていることから、ここから原題を取ったのかもしれない。
リドリー・スコット監督作品では、「Someone」とは犯人のこと。 だがさしずめ、この君塚作品では、主人公の二人は犯人では無く、マスコミ、ネット社会という「Someone」に監視されて(見られて)いる。
「Someone to watch over me 誰かに見られている」が、「Nobody to watch over me 誰も守ってくれない」
それが、今の日本なのだろう。
福井では、テアトルサンクで、2009年1月24日から上映。
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