日の丸を切り刻んで何が悪いのか?! ― 2009/08/20 02:27:55
今選挙の民主党候補者の出陣式で、日の丸で作った民主党旗を使ったことを麻生首相が批判し、民主党側もこれに謝罪したそうだが、これのどこが問題なのか、さっぱり分からない。
http://www.asahi.com/politics/update/0818/SEB200908180007.html
記事によればこの民主党旗は、熱心な支持者が出陣式のために、2枚の日の丸を使い、手作りで作成したものということだ。
自分にとって大切なものを、別の大切なもの、或いは価値のある(と認められている)もので作ること、作りたいと思うことはよくあることだと思う。
この支持者は、日の丸で、自らの支持する民主党旗を作ろうと思った。民主党こそが、この日本を背負うべきだ、という思いも、その底にはあったのかもしれない。
このどこがいけないのか、重ねて言うが、私にはさっぱり分からない。
ここに見えるのは、民主党と日の丸(が象徴する)日本という国への思いだ。
どうも批判する向きは、日の丸を粗末に扱った、ということを問題にしているようだが、この支持者は日の丸を切り刻んで捨てた訳ではない。言ってみれば、日の丸の持つ(と支持者が認めている)価値を民主党旗に取り込もうとしたのだ。 日の丸(が象徴するもの)を大切に考えるからこそ、そうしたのである。
更に言えば、大切なのは「日の丸」ではない。「日の丸」が象徴している日本と言う国、更にはそこに住み、生活している人々やその社会、自然だ。「日の丸」はそれらを示すアイコンに過ぎない。
そのアイコンは、必要に応じて、或いはそれを親しむ人たちによって、自由に加工されてもしかるべきだ。このアイコンの著作権者は日本国民自身なのだから。(「外国人」を排除する必要も思いつかないが)
この社会には、アイコンどころか、そのアイコンが象徴するところの、真に大切な国民を、セーフティネットも無しに非正規労働に放り出したり、根拠も無しに困窮している母子家庭への生活保護加算を打ち切ったり、と、切り刻んでいる輩が平気な顔でのさばっている。
それに比べれば、アイコンを切り刻むことが何ほどのことだと言うのか。
日の丸を何か傷つけたりしたら批判されるようでは、おっかなくて触れることも出来なくなる。
それとも今回のことを批判する向きは、日の丸は手の届かない高所に掲げ、恭しく頭を下げていなければいけないもの、と、この国の風潮をそんな風にしたいとでも考えているのだろうか?
偶然なのか、そういう人たちと、(アイコンでなく)国民を切り刻んでいる輩とが二重写しに見えるのは、私の錯覚なのだろうか。
このままでは不敬罪の復活も絵空事ではないのかもしれない。
天皇が一般道を走ると、どこからともなく手旗の日の丸が配られ、少なくない人たちが一所懸命、天皇に向かって旗を振るが、あの後、あの手旗はどう処理されているのだろう?
もはやゴミ箱などには恐れ多くて捨てられないのではないか?
神主に祝詞でも上げてもらい、儀式を執り行って廃棄することになるのだろうか。
非正規労働者の首切りや母子家庭への加算打ち切りの際には、そんなありがたい祝詞もなかったようだが。
くわばら、くわばら、である。
http://www.asahi.com/politics/update/0818/SEB200908180007.html
記事によればこの民主党旗は、熱心な支持者が出陣式のために、2枚の日の丸を使い、手作りで作成したものということだ。
自分にとって大切なものを、別の大切なもの、或いは価値のある(と認められている)もので作ること、作りたいと思うことはよくあることだと思う。
この支持者は、日の丸で、自らの支持する民主党旗を作ろうと思った。民主党こそが、この日本を背負うべきだ、という思いも、その底にはあったのかもしれない。
このどこがいけないのか、重ねて言うが、私にはさっぱり分からない。
ここに見えるのは、民主党と日の丸(が象徴する)日本という国への思いだ。
どうも批判する向きは、日の丸を粗末に扱った、ということを問題にしているようだが、この支持者は日の丸を切り刻んで捨てた訳ではない。言ってみれば、日の丸の持つ(と支持者が認めている)価値を民主党旗に取り込もうとしたのだ。 日の丸(が象徴するもの)を大切に考えるからこそ、そうしたのである。
更に言えば、大切なのは「日の丸」ではない。「日の丸」が象徴している日本と言う国、更にはそこに住み、生活している人々やその社会、自然だ。「日の丸」はそれらを示すアイコンに過ぎない。
そのアイコンは、必要に応じて、或いはそれを親しむ人たちによって、自由に加工されてもしかるべきだ。このアイコンの著作権者は日本国民自身なのだから。(「外国人」を排除する必要も思いつかないが)
この社会には、アイコンどころか、そのアイコンが象徴するところの、真に大切な国民を、セーフティネットも無しに非正規労働に放り出したり、根拠も無しに困窮している母子家庭への生活保護加算を打ち切ったり、と、切り刻んでいる輩が平気な顔でのさばっている。
それに比べれば、アイコンを切り刻むことが何ほどのことだと言うのか。
日の丸を何か傷つけたりしたら批判されるようでは、おっかなくて触れることも出来なくなる。
それとも今回のことを批判する向きは、日の丸は手の届かない高所に掲げ、恭しく頭を下げていなければいけないもの、と、この国の風潮をそんな風にしたいとでも考えているのだろうか?
偶然なのか、そういう人たちと、(アイコンでなく)国民を切り刻んでいる輩とが二重写しに見えるのは、私の錯覚なのだろうか。
このままでは不敬罪の復活も絵空事ではないのかもしれない。
天皇が一般道を走ると、どこからともなく手旗の日の丸が配られ、少なくない人たちが一所懸命、天皇に向かって旗を振るが、あの後、あの手旗はどう処理されているのだろう?
もはやゴミ箱などには恐れ多くて捨てられないのではないか?
神主に祝詞でも上げてもらい、儀式を執り行って廃棄することになるのだろうか。
非正規労働者の首切りや母子家庭への加算打ち切りの際には、そんなありがたい祝詞もなかったようだが。
くわばら、くわばら、である。
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