福島で今、起きていること。 ― 2013/04/06 21:28:30
福島で起きていることは私たちには知らされていません。
そして、時間が経つと、「事故は収束した」「事故の被害はこの程度だった」とされ、
次に事故が起こされた時、「あの時もこうだったから、そんなことは起こらない」とされるのです。
朝日新聞(4/3) より。
■不安隠し無力感抱く母たち 心療内科医・斧澤克乃さん
私は、福島のNPOの呼びかけにより全国から集まった医師グループの協力で、福島市や郡山市などで実施されている「子ども健康相談会」に定期的に参加しています。
昨年1月に初めて参加した時衝撃を受けたのは、新聞やニュースで報道されていたことと、そこに相談に来ていた母親たちが訴える福島の現状とのギャップでした。
子どもを放射能から守りたいと思い、県や市、地元の医師に訴えても、「安全です。特別なことをする必要はありません。放射能恐怖症のお母さんが増えて困っています」などと相手にされない。
経済的な理由などから県外への避難ができず、高い放射線量の中で住み続けざるを得ないからこそ心配なのに、他の母親からも「県や市が安全だと言っているのだから大丈夫でしょう」「残っているのに不安を口にするのはおかしい」などと言われる。夫からも「心配しすぎだ」と言われて夫婦間に溝ができる。
不安を隠しながら、地域や家庭の中で孤立。「自分の方がおかしいのではないか」と自らを責めて抑うつ状態になっている母親が多く、相談会に来ること自体が非難される雰囲気でした。私は母親たちの姿に言葉を失い、心ない行政の対応への憤りのあまり、夜も眠れなくなりました。
原発事故直後から国や専門機関は「直ちに健康に影響を及ぼすレベルではない」と繰り返すばかり。チェルノブイリ事故の時の例もあるので、将来的にどのような影響があるかわからないと思い、母親たちは必死に情報収集し、体制を整えてほしいと訴えているのに、「安全だから検査は必要ない、県外避難も勧めない」というだけ。
しかし、子どもたちは実際に、のどの痛み、鼻血、下痢、倦怠(けんたい)感、頭痛、発疹など様々な症状を呈しているのです。「外に出られないことによるストレスが原因」とか、「母親の心配が病気を作る」と、病気の原因を心理社会的な要因にすり替えられてしまうことが最も危険です。
最近相談に来る母親たちと話していると、どんなに訴えても変わらない無力感からか、疲れ果ててしまって、「仕方ない」「これも運命だ」「放射能のことは忘れて暮らした方が心が楽」と無理やり思い込むことで心のバランスを保とうとしている人が増えていると感じます。
同じことは東京でも起きています。私の子どもが通う学校では今でも、保護者からの要望を受けて給食の食材の産地にも気をつけてもらっているし、放射線の専門家を招いて、子どもたちに放射線から体を守る方法について講義をしてもらったりしていますが、そのような学校は少数派になっています。
リスクがあるのに、「安全です」といって不安のみを取り去ったら、子どもたちを無防備に被曝(ひばく)させる危険が残るだけです。行政やメディアの情報をうのみにせず、自ら考えて行動することをあきらめないでほしいと思います。
(聞き手・山口栄二)
そして、時間が経つと、「事故は収束した」「事故の被害はこの程度だった」とされ、
次に事故が起こされた時、「あの時もこうだったから、そんなことは起こらない」とされるのです。
朝日新聞(4/3) より。
■不安隠し無力感抱く母たち 心療内科医・斧澤克乃さん
私は、福島のNPOの呼びかけにより全国から集まった医師グループの協力で、福島市や郡山市などで実施されている「子ども健康相談会」に定期的に参加しています。
昨年1月に初めて参加した時衝撃を受けたのは、新聞やニュースで報道されていたことと、そこに相談に来ていた母親たちが訴える福島の現状とのギャップでした。
子どもを放射能から守りたいと思い、県や市、地元の医師に訴えても、「安全です。特別なことをする必要はありません。放射能恐怖症のお母さんが増えて困っています」などと相手にされない。
経済的な理由などから県外への避難ができず、高い放射線量の中で住み続けざるを得ないからこそ心配なのに、他の母親からも「県や市が安全だと言っているのだから大丈夫でしょう」「残っているのに不安を口にするのはおかしい」などと言われる。夫からも「心配しすぎだ」と言われて夫婦間に溝ができる。
不安を隠しながら、地域や家庭の中で孤立。「自分の方がおかしいのではないか」と自らを責めて抑うつ状態になっている母親が多く、相談会に来ること自体が非難される雰囲気でした。私は母親たちの姿に言葉を失い、心ない行政の対応への憤りのあまり、夜も眠れなくなりました。
原発事故直後から国や専門機関は「直ちに健康に影響を及ぼすレベルではない」と繰り返すばかり。チェルノブイリ事故の時の例もあるので、将来的にどのような影響があるかわからないと思い、母親たちは必死に情報収集し、体制を整えてほしいと訴えているのに、「安全だから検査は必要ない、県外避難も勧めない」というだけ。
しかし、子どもたちは実際に、のどの痛み、鼻血、下痢、倦怠(けんたい)感、頭痛、発疹など様々な症状を呈しているのです。「外に出られないことによるストレスが原因」とか、「母親の心配が病気を作る」と、病気の原因を心理社会的な要因にすり替えられてしまうことが最も危険です。
最近相談に来る母親たちと話していると、どんなに訴えても変わらない無力感からか、疲れ果ててしまって、「仕方ない」「これも運命だ」「放射能のことは忘れて暮らした方が心が楽」と無理やり思い込むことで心のバランスを保とうとしている人が増えていると感じます。
同じことは東京でも起きています。私の子どもが通う学校では今でも、保護者からの要望を受けて給食の食材の産地にも気をつけてもらっているし、放射線の専門家を招いて、子どもたちに放射線から体を守る方法について講義をしてもらったりしていますが、そのような学校は少数派になっています。
リスクがあるのに、「安全です」といって不安のみを取り去ったら、子どもたちを無防備に被曝(ひばく)させる危険が残るだけです。行政やメディアの情報をうのみにせず、自ら考えて行動することをあきらめないでほしいと思います。
(聞き手・山口栄二)
私たちが思い出すべきこと。 ― 2013/04/06 21:49:05
朝日新聞(4/4) より
「日本人は、過去の戦争を通じて、戦争に参加することが何を意味するか分かっていると思う。忘れているのなら、思い出して議論すべきだ。そうすれば、政治に対して責任ある行動を取れると思う」
========================
(インタビュー)なぜ戦いに行くのか 映画「アルマジロ」の監督、ヤヌス・メッツさん
(以下、抜粋。興味を持った方は図書館等で記事を読んで見て下さい)
※映画「アルマジロ」は、アフガニスタンで治安維持にあたるデンマーク軍兵士を追ったドキュメンタリー映画。
「デンマークは、第2次世界大戦でドイツと戦わずに占領を許した恥ずかしい過去がある。だから、どこかの国で市民を苦しめる為政者がいたら、自分たちが解放し、平和を築こうと考える。自由と人権といったデンマーク人が信じる価値を守るために立ち上がることが重要だ、と。」
「9・11テロは、デンマークにとってもひとごとではなかった。中東からの移民を多く受け入れているからだ。テロリストにコペンハーゲンの中央駅が爆破されるかもしれないという恐怖が広がった」
「『戦争へのよき協力者』となってテロと戦い、世界から悪を排除する。アフガンの人々を解放し、民主的な国を作るためだと考えた」
「テロリストと戦えば世界はよくなるというのは、ウブな考えだった。むしろまったく逆効果だった。私たちがテロリストだ、国際犯罪者だと見ている国や人々は、自らを自由に向かって戦う戦士だと思っている。テロとの戦いが新たなテロリストを生んでいる。9・11当時より今の方が、中央駅が爆破される危険性は高いだろう」
「ほとんどの国民はアフガンで兵士が何をしているのか知らない。私は戦争の本質を描き、観客が自らを実際に戦っている自国の若者に重ねてほしかった」
「国民はショックを受けた。戦争とは何かを知ってるつもりでも、実際に銃を口に入れられて初めて金属の味が舌にしみるようなものだ」
「文明国デンマークの若者が、粗暴で残虐で野蛮な兵士になってアフガンで人を殺している。市民は戦闘によって家族を失い、家を壊され、家畜を殺され、畑を荒らされた。自由で民主的な国を作るはずの軍隊が市民の生活を悪く変えている。デンマーク国民は映画を通じて『よきこと』と信じていた国際貢献の現実を見たんだ」
「国民も考え始めた。これが私が望んでいた状況だった。『洗練された国際貢献』が12年経ってもよい方向に導けず、アフガンは過酷な国であり続けているということを私たちは理解した」
「デンマークは少しずつだが変わり始めている。政府は、もう何の議論もなく、自動的に軍隊を海外に派遣することはできないだろう」
「米国は、テロリストと戦うことで自国の安全を守ろうと考えた。デンマークは、抑圧された弱き市民を助けたい思いが強かった。しかし名目はどうであれ、よりよい世界を作るための軍事行動が逆に市民を苦しめ、新たな敵意、テロリストを生み出している」
「日本人は、過去の戦争を通じて、戦争に参加することが何を意味するか分かっていると思う。忘れているのなら、思い出して議論すべきだ。そうすれば、政治に対して責任ある行動を取れると思う」
「日本人は、過去の戦争を通じて、戦争に参加することが何を意味するか分かっていると思う。忘れているのなら、思い出して議論すべきだ。そうすれば、政治に対して責任ある行動を取れると思う」
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(インタビュー)なぜ戦いに行くのか 映画「アルマジロ」の監督、ヤヌス・メッツさん
(以下、抜粋。興味を持った方は図書館等で記事を読んで見て下さい)
※映画「アルマジロ」は、アフガニスタンで治安維持にあたるデンマーク軍兵士を追ったドキュメンタリー映画。
「デンマークは、第2次世界大戦でドイツと戦わずに占領を許した恥ずかしい過去がある。だから、どこかの国で市民を苦しめる為政者がいたら、自分たちが解放し、平和を築こうと考える。自由と人権といったデンマーク人が信じる価値を守るために立ち上がることが重要だ、と。」
「9・11テロは、デンマークにとってもひとごとではなかった。中東からの移民を多く受け入れているからだ。テロリストにコペンハーゲンの中央駅が爆破されるかもしれないという恐怖が広がった」
「『戦争へのよき協力者』となってテロと戦い、世界から悪を排除する。アフガンの人々を解放し、民主的な国を作るためだと考えた」
「テロリストと戦えば世界はよくなるというのは、ウブな考えだった。むしろまったく逆効果だった。私たちがテロリストだ、国際犯罪者だと見ている国や人々は、自らを自由に向かって戦う戦士だと思っている。テロとの戦いが新たなテロリストを生んでいる。9・11当時より今の方が、中央駅が爆破される危険性は高いだろう」
「ほとんどの国民はアフガンで兵士が何をしているのか知らない。私は戦争の本質を描き、観客が自らを実際に戦っている自国の若者に重ねてほしかった」
「国民はショックを受けた。戦争とは何かを知ってるつもりでも、実際に銃を口に入れられて初めて金属の味が舌にしみるようなものだ」
「文明国デンマークの若者が、粗暴で残虐で野蛮な兵士になってアフガンで人を殺している。市民は戦闘によって家族を失い、家を壊され、家畜を殺され、畑を荒らされた。自由で民主的な国を作るはずの軍隊が市民の生活を悪く変えている。デンマーク国民は映画を通じて『よきこと』と信じていた国際貢献の現実を見たんだ」
「国民も考え始めた。これが私が望んでいた状況だった。『洗練された国際貢献』が12年経ってもよい方向に導けず、アフガンは過酷な国であり続けているということを私たちは理解した」
「デンマークは少しずつだが変わり始めている。政府は、もう何の議論もなく、自動的に軍隊を海外に派遣することはできないだろう」
「米国は、テロリストと戦うことで自国の安全を守ろうと考えた。デンマークは、抑圧された弱き市民を助けたい思いが強かった。しかし名目はどうであれ、よりよい世界を作るための軍事行動が逆に市民を苦しめ、新たな敵意、テロリストを生み出している」
「日本人は、過去の戦争を通じて、戦争に参加することが何を意味するか分かっていると思う。忘れているのなら、思い出して議論すべきだ。そうすれば、政治に対して責任ある行動を取れると思う」
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