稲田朋美代議士の振る舞い2008/03/13 03:11:58

稲田朋美という我が県選出の代議士が、今度、アルゴ・ピクチャーズが配給する「靖国」というドキュメンタリー映画を問題視して、公開前に試写を要求したらしい。

その申し入れは文化庁を通してアルゴ・ピクチャーズへ伝えられ、アルゴ・ピクチャーズは当初、公開後に一般の観客として観賞してもらうよう返事したらしいが、それが代議士からの要求と知ったアルゴ・ピクチャーズは、特定の政治家のための試写は行えない、と拒否したということだ。
それでも文化庁が執拗に求めたせいなのかどうか、アルゴ・ピクチャーズは、それならば全国会議員を対象にした試写会なら、と了承したようだ。(会場は文化庁が稲田代議士への試写に用意した場所を使用)

特定の政治家のための試写は行えない、と回答したアルゴ・ピクチャーズの毅然とした姿勢は称賛されて然るべきと思う。しかし、それでも、本日(3月12日)の「ニュース23」でのインタビューで、(恐らく)社長は、「こういう形で試写を行うことになったのは忸怩たるものがあります」と答えていた。

まず疑問に思うのは、稲田代議士がこの映画を問題視するのは構わないとしても、それなら公開後に観ればいいだけのこと。何故、わざわざアルゴ・ピクチャーズの(民間の)手を煩らわせて試写を行う必要があったのか? ということだ。
この映画には文化庁から基金が出ているらしい。
税金の使われ方を調べる国政調査権によるものだ、と稲田代議士は言っているようだが、もしその言い分を認めるにしろ、観るのは公開時に一般の観客として観れば何の問題もない筈だ。
公開前の作品に政治家としての立場を利用して特別に試写を要求するなど、検閲と取られても仕方のない行為ではないか。
政治家は権力を持っている。その行為は回りに大きな影響を与える。力を持つものはその使い方、自らの振る舞い方に責任を持つ必要がある。
今回の稲田代議士の行為には、NHKの番組に非公開の場で横槍を入れた安倍前首相と同じものを感じる。

また、稲田代議士は、試写会での観賞後に、この映画はドキュメンタリー映画なのに政治的中立性を欠いている、旨の発言をしているが、これは勘違いも甚だしい。
ドキュメンタリーだろうが劇映画だろうが、それらは文化的創作物だ。それらに政治的中立性が求められる、などということが、あって良い筈がない。それこそ思想統制、以前のソ連を思わせる話だ。
稲田代議士はドキュメンタリーとニュースとを混同しているのではないか?

文化庁の基金は、文化振興のために様々な文化活動や創作活動に支出されているものだろう。
様々な事象を通してそれぞれの表現を行ってゆくのが文化というものだ。
税金を支出するのだから、そこには何らかの基準が必要となるのは理解出来るが、少なくともそれは、行政や政府の意に沿ったものでなければならない、とか、「政治的中立性」を求めるものであってはならない。それは文化と相反するものだからだ。

政治家という立場を利用して、不必要に特別の処遇を要求した、という点と、映画(文化)というものに対する理解、という2点で、稲田代議士は過ちを犯している。

(ことの経緯については、3月11日付け朝日新聞の記事、及び3月12日に放映されたTBS「ニュース23」に拠っています)
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