「告発のとき」 ― 2008/07/03 01:48:47
この映画の中で、トミー・リー・ジョーンズは泣かない。
愛する息子が、無残な殺され方で見つかり、
自分たちの知らなかった息子の姿を知る事になっても。
彼はタフな愛国心篤い男だ。
だが、彼が涙を流さないのは、
悲しみが深過ぎると、涙さえ流れない、という、
以前どこかで読んだ言葉を思い出させる。
彼の悲しみが深くない訳がない。
父親であり、かつ、愛国心の篤い男だからこそ、
深くない訳がない。
ラストの星条旗が、そのことを教えている。
-------------------------------------------
エドワード・ホッパーの「ナイト・ホークス」を思わせるような夜のシーンだけでなく、どのカットもが、
今のアメリカ社会の、そこに置かれている人たちの、孤独、苦しさを感じさせる。
愛する息子が、無残な殺され方で見つかり、
自分たちの知らなかった息子の姿を知る事になっても。
彼はタフな愛国心篤い男だ。
だが、彼が涙を流さないのは、
悲しみが深過ぎると、涙さえ流れない、という、
以前どこかで読んだ言葉を思い出させる。
彼の悲しみが深くない訳がない。
父親であり、かつ、愛国心の篤い男だからこそ、
深くない訳がない。
ラストの星条旗が、そのことを教えている。
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エドワード・ホッパーの「ナイト・ホークス」を思わせるような夜のシーンだけでなく、どのカットもが、
今のアメリカ社会の、そこに置かれている人たちの、孤独、苦しさを感じさせる。
映画「靖国YASUKUNI」、稲田議員の地元で今日から上映 ― 2008/07/12 18:01:55

稲田代議士の悪辣な、そうでなければ無神経な、(一般公開前の段階での、一部議員向けの特別試写会の要求という)横槍をきっかけに、一般公開が右翼により妨害されるという事態まで引き起こした映画「靖国YASUKUNI」ですが、本日より、稲田議員の選挙区である福井で、一般公開が始まりました。
よもや街宣車による妨害などはないだろうと思いつつ、1回目の上映が始まる頃に行ってみましたが、無事、何事もなく始まったようです。
稲田議員の選挙区であるだけに却って、妨害活動などは起きないかも知れません。
それでも念のため、スクリーン近辺の様子はずっとビデオ撮りするとともに、今回の上映に携わっている市民団体のメンバーが入れ替わり常駐するそうです。
以前、横浜かどこかの映画館で、南京事件を描いた映画を上映中のスクリーンを、右翼が切り裂いた事件もありましたから、警戒せざるを得ないのでしょう。
上映館はメトロ劇場というのですが、ここは福井市内の老舗のミニシアター系の映画館です。福井の映画ファンなら知らない人はいないはず。名画座、という言い方がそのまま当て嵌まるような映画館です。
今回の上映の後、8月にも再度、上映が予定されています。
私も、上映期間中に観に行ってきます。
よもや街宣車による妨害などはないだろうと思いつつ、1回目の上映が始まる頃に行ってみましたが、無事、何事もなく始まったようです。
稲田議員の選挙区であるだけに却って、妨害活動などは起きないかも知れません。
それでも念のため、スクリーン近辺の様子はずっとビデオ撮りするとともに、今回の上映に携わっている市民団体のメンバーが入れ替わり常駐するそうです。
以前、横浜かどこかの映画館で、南京事件を描いた映画を上映中のスクリーンを、右翼が切り裂いた事件もありましたから、警戒せざるを得ないのでしょう。
上映館はメトロ劇場というのですが、ここは福井市内の老舗のミニシアター系の映画館です。福井の映画ファンなら知らない人はいないはず。名画座、という言い方がそのまま当て嵌まるような映画館です。
今回の上映の後、8月にも再度、上映が予定されています。
私も、上映期間中に観に行ってきます。
「崖の上のポニョ」 ― 2008/07/14 01:04:45
「崖の上のポニョ」はこれまでの宮崎作品に比べて、大きく異なった点がある。
まず、人以外の生き物を擬人化した最初の作品だと言う事。
これまでにも人以外のキャラクタが人のように話し、振る舞う作品はあったが、それらは神など、その作品の為に造形されたキャラクタだった。今回のように、自然に存在している生き物を擬人化して描いたのは、この作品が初めてだ。
だが、そのことよりも、この作品にはこれまでの宮崎作品と大きく異なる点がある、と私は思う。
それは、ここに出てくる母親が、巨乳ではない事だ。 などと書くと何のこっちゃ、と言われるだろうが(^^;)、これまでの宮崎作品には必ずと言っていいほど、巨乳の女性が出てきた、或いは、巨乳の女性が目立つように思うのだ。
「天空の城ラピュタ」で主人公バズーとシータを匿う親方の女房や空の海賊の女船長も巨乳だったし、その他にも宮崎作品には巨乳の女性が良く出てくる。そのキャラクタは、ラピュタでの彼女らがバズー達を守り、支え、成長して行くのを見守っていたように、どっしりと構えて男達を、家族を守り、支える役柄だ。
また宮崎監督は「となりのトトロ」や「もののけ姫」などで我々が拠って生きる自然をテーマにもしている。
これは私が男だからなのかも知れないが、その我々を守り、支え、導いている自然と、それらの巨乳の女性たちとは、宮崎作品の中では通じているのではないかと感じてしまうのだ。
宮崎監督が特に注目されるようになった代表作「風の谷のナウシカ」の主人公ナウシカがやはり巨乳であり、彼女の拠って立つところが腐海や王蟲に代表される自然であったことを考えると、そういう考え方はあながち間違いではないと思う、
彼女たちは、どっしりと構えて主人公を守り、支え、教え諭す。そしてその背後には母なる自然、地球がある。
それらを守る為に、或いはそれらを目指して、主人公たちは闘い、成長して行くのだ。
だが「崖の上のポニョ」にはそういう存在がいない。唯一、ポニョの母親であるグランマンマーレがその役割を担っているが(そして彼女は、だから巨乳なのだが)、これまでの作品での巨乳の女性がしっかりとその存在感を誇示していたのに比べると、随分と希薄な感は否めない。
私はこの作品を観ながら、何故か不安定な気持ちを感じていた。 これは何なのだろう、と思っていたのだが、この作品の中には、そういう、どっしりと背後に控えていてくれる存在がなかったからではないか、と思う。
ナウシカで、ナウシカが拠って立っていた自然は、人類が引き起こした大戦争で大きく傷付きながらも、腐海で瘴気を吐きながら新しい自然を育んでいた。ナウシカはそれを理解し、そこにのみ、人々や生きるものたちの未来があると分かっていたからこそ、戦えたのだ。
だが、この作品の中にはそんな存在はない。自然ですら、月の接近によりバランスが崩れ、崩壊の危機にあるものととして描かれる。
人類は「公害」という自然破壊を積み重ね、ついには地球規模での自然崩壊を予想させる状況にまで来てしまった。 もはや頼るべき自然も存在しない、そんな現実の状況が、この作品には反映されているように思えてならない。
宮崎監督がそう考えてこの作品を描こうとしたのかは分からないが、期せずしてそのような不安感を、私は感じてしまった。
まず、人以外の生き物を擬人化した最初の作品だと言う事。
これまでにも人以外のキャラクタが人のように話し、振る舞う作品はあったが、それらは神など、その作品の為に造形されたキャラクタだった。今回のように、自然に存在している生き物を擬人化して描いたのは、この作品が初めてだ。
だが、そのことよりも、この作品にはこれまでの宮崎作品と大きく異なる点がある、と私は思う。
それは、ここに出てくる母親が、巨乳ではない事だ。 などと書くと何のこっちゃ、と言われるだろうが(^^;)、これまでの宮崎作品には必ずと言っていいほど、巨乳の女性が出てきた、或いは、巨乳の女性が目立つように思うのだ。
「天空の城ラピュタ」で主人公バズーとシータを匿う親方の女房や空の海賊の女船長も巨乳だったし、その他にも宮崎作品には巨乳の女性が良く出てくる。そのキャラクタは、ラピュタでの彼女らがバズー達を守り、支え、成長して行くのを見守っていたように、どっしりと構えて男達を、家族を守り、支える役柄だ。
また宮崎監督は「となりのトトロ」や「もののけ姫」などで我々が拠って生きる自然をテーマにもしている。
これは私が男だからなのかも知れないが、その我々を守り、支え、導いている自然と、それらの巨乳の女性たちとは、宮崎作品の中では通じているのではないかと感じてしまうのだ。
宮崎監督が特に注目されるようになった代表作「風の谷のナウシカ」の主人公ナウシカがやはり巨乳であり、彼女の拠って立つところが腐海や王蟲に代表される自然であったことを考えると、そういう考え方はあながち間違いではないと思う、
彼女たちは、どっしりと構えて主人公を守り、支え、教え諭す。そしてその背後には母なる自然、地球がある。
それらを守る為に、或いはそれらを目指して、主人公たちは闘い、成長して行くのだ。
だが「崖の上のポニョ」にはそういう存在がいない。唯一、ポニョの母親であるグランマンマーレがその役割を担っているが(そして彼女は、だから巨乳なのだが)、これまでの作品での巨乳の女性がしっかりとその存在感を誇示していたのに比べると、随分と希薄な感は否めない。
私はこの作品を観ながら、何故か不安定な気持ちを感じていた。 これは何なのだろう、と思っていたのだが、この作品の中には、そういう、どっしりと背後に控えていてくれる存在がなかったからではないか、と思う。
ナウシカで、ナウシカが拠って立っていた自然は、人類が引き起こした大戦争で大きく傷付きながらも、腐海で瘴気を吐きながら新しい自然を育んでいた。ナウシカはそれを理解し、そこにのみ、人々や生きるものたちの未来があると分かっていたからこそ、戦えたのだ。
だが、この作品の中にはそんな存在はない。自然ですら、月の接近によりバランスが崩れ、崩壊の危機にあるものととして描かれる。
人類は「公害」という自然破壊を積み重ね、ついには地球規模での自然崩壊を予想させる状況にまで来てしまった。 もはや頼るべき自然も存在しない、そんな現実の状況が、この作品には反映されているように思えてならない。
宮崎監督がそう考えてこの作品を描こうとしたのかは分からないが、期せずしてそのような不安感を、私は感じてしまった。
ルネス金沢 ― 2008/07/29 01:31:07
あれ? 10月で閉鎖ですか?
映画館の方はどうなるんでしょう?
シネコンの中ではまだましな番組を上映するところなのですが・・・。
映画館の方はどうなるんでしょう?
シネコンの中ではまだましな番組を上映するところなのですが・・・。
「カメレオン」(あるいは人生のたそがれ) ― 2008/07/31 01:11:04
丸山昇一が松田優作に当てて書いた脚本の映画化、と知っているせいか、松田優作とは体型も全く違う藤原竜也の動きの幾つかに、松田優作がかぶってしまった。
冒頭の女占い師との絡みも、理屈抜きで勢いで流れて行くクライマックスも、70年代〜80年代のアクション映画を感じさせて、それが嫌ではなく、懐かしく感じてしまうのは、単に歳を取ったと言う事なのか。
愛すべき小品、B級映画、考えて見ればそんな日本映画も、最近は観なくなったような気もするが、それもアンテナの衰えただけなのかも知れない。
冒頭の女占い師との絡みも、理屈抜きで勢いで流れて行くクライマックスも、70年代〜80年代のアクション映画を感じさせて、それが嫌ではなく、懐かしく感じてしまうのは、単に歳を取ったと言う事なのか。
愛すべき小品、B級映画、考えて見ればそんな日本映画も、最近は観なくなったような気もするが、それもアンテナの衰えただけなのかも知れない。
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