烏が雀を襲ってました・・・ ― 2009/08/15 19:03:26
こんなことって、あるんですかねぇ。
私が知らなかっただけ?
さっき、エルパと福井新聞ビルの間の道を車で走っていたら、福井新聞ビルの前の歩道のところで、一羽の烏(からす)が、雀を突いて攻撃してたんです。
既に雀は大分ダメージを受けていたらしく、歩道の上から飛ぼうとするのですがその度に烏のくちばしで突かれ、そのうち、動かなくなりました。
動かなくなった雀を更に烏は突いていましたが、これから食べるのでしょうか?
私はそのまま走って行ってしまったので、その後は分かりませんでしたが。
烏って雑食だから、食べたっておかしくないのかもしれないけれど、雀を襲うなんて、初めて見ました。
最近はゴミも綺麗にされて、食べるものが少なくなったのかなあ。
見ていて、ちょっと、ゾッとしました。
私が知らなかっただけ?
さっき、エルパと福井新聞ビルの間の道を車で走っていたら、福井新聞ビルの前の歩道のところで、一羽の烏(からす)が、雀を突いて攻撃してたんです。
既に雀は大分ダメージを受けていたらしく、歩道の上から飛ぼうとするのですがその度に烏のくちばしで突かれ、そのうち、動かなくなりました。
動かなくなった雀を更に烏は突いていましたが、これから食べるのでしょうか?
私はそのまま走って行ってしまったので、その後は分かりませんでしたが。
烏って雑食だから、食べたっておかしくないのかもしれないけれど、雀を襲うなんて、初めて見ました。
最近はゴミも綺麗にされて、食べるものが少なくなったのかなあ。
見ていて、ちょっと、ゾッとしました。
『英霊』、という呼び方 ― 2009/08/16 03:02:27
この時期になると、よく、
あの戦争で戦ってくれた人たちのお陰で今の平和はある、などと言い、その流れで、戦場で死んだ人たちを「英霊」と言う人がいるが、そういう考え方には違和感を感じざるを得ない。
確かに、戦場に連れて行かれた一人一人の気持ちは、家族を護るため、国を護るため、という悲壮な、尊敬すべき気持ちだったに違いない。そのことには何ら疑問を挟むつもりはない。
だが、じゃあ彼らは平和を守るために戦争をさせられたのか、と言えば、それは違う。
彼らは中国や南方を侵略しその資源を日本が横取りするために戦わされたのだ。
確かに、対英米戦については彼らもアジアを植民地にしていたのであり、日本と英米との間の戦争は植民地争奪のための戦争だった。当時の英米と日本を比較して、一方的に日本を批判することは出来ない。
だが、アジア諸国や南方諸国については一方的な日本の侵略戦争だ。
右側の人間にぶん殴られてカネを取られたからと言って、左側の人間からカネを分捕っていいことにはならない。左側の人間に対して免責を主張することは出来ない。
戦争に赴いて行った人たちの、(それこそ崇高な)個人的な信条と、彼らが戦争に赴かされた意味の二つを混同してはいけない。
『五族協和』とかの掛け声に騙されて戦場に連れ出され、異常な状況の下で自らも狂わざるを得なかった、
そんな彼らを、平和のために戦った『英霊』などと呼ぶことは、死してなお彼らを騙すことであり、感謝するどころか更に冒涜することだと、私は思う。
「あの戦争は間違いだった。あなたがたを戦争に連れ出したのは間違いだった。
あなた方は死ぬ必要はなかったのに死なされ、殺す必要はなかったのに、殺さざるを得なかった。
どんなに辛かったことかと思う。だから、あなた方のような人たちを二度と出さないために、戦争をせざるを得ないような社会を二度と作らないために、私たちは努力します。戦争は二度と行いません」
それが本当に、あの戦争で、戦場で死んで行った人たちへの供養の言葉であるべきだ。
「あなた方が戦ってくれたお陰で今の平和はある。ありがとう。あなた方は『英霊』です。」
などという言葉は、『五族協和』とか日本を鬼畜米英から護るため、などと騙されて戦場へ連れ出された人たちを、死後になってなお騙すことにほかならない。
それこそが、冒涜でなくてなんだろう。
考えてもみるがいい。
彼らが戦ってくれたお陰での今の平和がある、というのなら、では、彼らが戦って、もし、あの戦争に勝っていたら、今の、戦後の平和はあったのだろうか?
逆ではないか? 日本はますます戦線を広め、戦争はもっと拡大し、戦争の無い、平和な世など来なかったのではないか?
戦後から今に続いている平和は、日本があの戦争に負けたから、あったのだ。
私は戦後の日本の平和のあり方をそのまま肯定はしない。が、少なくとも、
あの戦争での戦死者を『英霊』と呼ぶ思潮と、戦後の平和を肯定することとは、相容れないことだと思う。
あの戦争で戦ってくれた人たちのお陰で今の平和はある、などと言い、その流れで、戦場で死んだ人たちを「英霊」と言う人がいるが、そういう考え方には違和感を感じざるを得ない。
確かに、戦場に連れて行かれた一人一人の気持ちは、家族を護るため、国を護るため、という悲壮な、尊敬すべき気持ちだったに違いない。そのことには何ら疑問を挟むつもりはない。
だが、じゃあ彼らは平和を守るために戦争をさせられたのか、と言えば、それは違う。
彼らは中国や南方を侵略しその資源を日本が横取りするために戦わされたのだ。
確かに、対英米戦については彼らもアジアを植民地にしていたのであり、日本と英米との間の戦争は植民地争奪のための戦争だった。当時の英米と日本を比較して、一方的に日本を批判することは出来ない。
だが、アジア諸国や南方諸国については一方的な日本の侵略戦争だ。
右側の人間にぶん殴られてカネを取られたからと言って、左側の人間からカネを分捕っていいことにはならない。左側の人間に対して免責を主張することは出来ない。
戦争に赴いて行った人たちの、(それこそ崇高な)個人的な信条と、彼らが戦争に赴かされた意味の二つを混同してはいけない。
『五族協和』とかの掛け声に騙されて戦場に連れ出され、異常な状況の下で自らも狂わざるを得なかった、
そんな彼らを、平和のために戦った『英霊』などと呼ぶことは、死してなお彼らを騙すことであり、感謝するどころか更に冒涜することだと、私は思う。
「あの戦争は間違いだった。あなたがたを戦争に連れ出したのは間違いだった。
あなた方は死ぬ必要はなかったのに死なされ、殺す必要はなかったのに、殺さざるを得なかった。
どんなに辛かったことかと思う。だから、あなた方のような人たちを二度と出さないために、戦争をせざるを得ないような社会を二度と作らないために、私たちは努力します。戦争は二度と行いません」
それが本当に、あの戦争で、戦場で死んで行った人たちへの供養の言葉であるべきだ。
「あなた方が戦ってくれたお陰で今の平和はある。ありがとう。あなた方は『英霊』です。」
などという言葉は、『五族協和』とか日本を鬼畜米英から護るため、などと騙されて戦場へ連れ出された人たちを、死後になってなお騙すことにほかならない。
それこそが、冒涜でなくてなんだろう。
考えてもみるがいい。
彼らが戦ってくれたお陰での今の平和がある、というのなら、では、彼らが戦って、もし、あの戦争に勝っていたら、今の、戦後の平和はあったのだろうか?
逆ではないか? 日本はますます戦線を広め、戦争はもっと拡大し、戦争の無い、平和な世など来なかったのではないか?
戦後から今に続いている平和は、日本があの戦争に負けたから、あったのだ。
私は戦後の日本の平和のあり方をそのまま肯定はしない。が、少なくとも、
あの戦争での戦死者を『英霊』と呼ぶ思潮と、戦後の平和を肯定することとは、相容れないことだと思う。
日の丸を切り刻んで何が悪いのか?! ― 2009/08/20 02:27:55
今選挙の民主党候補者の出陣式で、日の丸で作った民主党旗を使ったことを麻生首相が批判し、民主党側もこれに謝罪したそうだが、これのどこが問題なのか、さっぱり分からない。
http://www.asahi.com/politics/update/0818/SEB200908180007.html
記事によればこの民主党旗は、熱心な支持者が出陣式のために、2枚の日の丸を使い、手作りで作成したものということだ。
自分にとって大切なものを、別の大切なもの、或いは価値のある(と認められている)もので作ること、作りたいと思うことはよくあることだと思う。
この支持者は、日の丸で、自らの支持する民主党旗を作ろうと思った。民主党こそが、この日本を背負うべきだ、という思いも、その底にはあったのかもしれない。
このどこがいけないのか、重ねて言うが、私にはさっぱり分からない。
ここに見えるのは、民主党と日の丸(が象徴する)日本という国への思いだ。
どうも批判する向きは、日の丸を粗末に扱った、ということを問題にしているようだが、この支持者は日の丸を切り刻んで捨てた訳ではない。言ってみれば、日の丸の持つ(と支持者が認めている)価値を民主党旗に取り込もうとしたのだ。 日の丸(が象徴するもの)を大切に考えるからこそ、そうしたのである。
更に言えば、大切なのは「日の丸」ではない。「日の丸」が象徴している日本と言う国、更にはそこに住み、生活している人々やその社会、自然だ。「日の丸」はそれらを示すアイコンに過ぎない。
そのアイコンは、必要に応じて、或いはそれを親しむ人たちによって、自由に加工されてもしかるべきだ。このアイコンの著作権者は日本国民自身なのだから。(「外国人」を排除する必要も思いつかないが)
この社会には、アイコンどころか、そのアイコンが象徴するところの、真に大切な国民を、セーフティネットも無しに非正規労働に放り出したり、根拠も無しに困窮している母子家庭への生活保護加算を打ち切ったり、と、切り刻んでいる輩が平気な顔でのさばっている。
それに比べれば、アイコンを切り刻むことが何ほどのことだと言うのか。
日の丸を何か傷つけたりしたら批判されるようでは、おっかなくて触れることも出来なくなる。
それとも今回のことを批判する向きは、日の丸は手の届かない高所に掲げ、恭しく頭を下げていなければいけないもの、と、この国の風潮をそんな風にしたいとでも考えているのだろうか?
偶然なのか、そういう人たちと、(アイコンでなく)国民を切り刻んでいる輩とが二重写しに見えるのは、私の錯覚なのだろうか。
このままでは不敬罪の復活も絵空事ではないのかもしれない。
天皇が一般道を走ると、どこからともなく手旗の日の丸が配られ、少なくない人たちが一所懸命、天皇に向かって旗を振るが、あの後、あの手旗はどう処理されているのだろう?
もはやゴミ箱などには恐れ多くて捨てられないのではないか?
神主に祝詞でも上げてもらい、儀式を執り行って廃棄することになるのだろうか。
非正規労働者の首切りや母子家庭への加算打ち切りの際には、そんなありがたい祝詞もなかったようだが。
くわばら、くわばら、である。
http://www.asahi.com/politics/update/0818/SEB200908180007.html
記事によればこの民主党旗は、熱心な支持者が出陣式のために、2枚の日の丸を使い、手作りで作成したものということだ。
自分にとって大切なものを、別の大切なもの、或いは価値のある(と認められている)もので作ること、作りたいと思うことはよくあることだと思う。
この支持者は、日の丸で、自らの支持する民主党旗を作ろうと思った。民主党こそが、この日本を背負うべきだ、という思いも、その底にはあったのかもしれない。
このどこがいけないのか、重ねて言うが、私にはさっぱり分からない。
ここに見えるのは、民主党と日の丸(が象徴する)日本という国への思いだ。
どうも批判する向きは、日の丸を粗末に扱った、ということを問題にしているようだが、この支持者は日の丸を切り刻んで捨てた訳ではない。言ってみれば、日の丸の持つ(と支持者が認めている)価値を民主党旗に取り込もうとしたのだ。 日の丸(が象徴するもの)を大切に考えるからこそ、そうしたのである。
更に言えば、大切なのは「日の丸」ではない。「日の丸」が象徴している日本と言う国、更にはそこに住み、生活している人々やその社会、自然だ。「日の丸」はそれらを示すアイコンに過ぎない。
そのアイコンは、必要に応じて、或いはそれを親しむ人たちによって、自由に加工されてもしかるべきだ。このアイコンの著作権者は日本国民自身なのだから。(「外国人」を排除する必要も思いつかないが)
この社会には、アイコンどころか、そのアイコンが象徴するところの、真に大切な国民を、セーフティネットも無しに非正規労働に放り出したり、根拠も無しに困窮している母子家庭への生活保護加算を打ち切ったり、と、切り刻んでいる輩が平気な顔でのさばっている。
それに比べれば、アイコンを切り刻むことが何ほどのことだと言うのか。
日の丸を何か傷つけたりしたら批判されるようでは、おっかなくて触れることも出来なくなる。
それとも今回のことを批判する向きは、日の丸は手の届かない高所に掲げ、恭しく頭を下げていなければいけないもの、と、この国の風潮をそんな風にしたいとでも考えているのだろうか?
偶然なのか、そういう人たちと、(アイコンでなく)国民を切り刻んでいる輩とが二重写しに見えるのは、私の錯覚なのだろうか。
このままでは不敬罪の復活も絵空事ではないのかもしれない。
天皇が一般道を走ると、どこからともなく手旗の日の丸が配られ、少なくない人たちが一所懸命、天皇に向かって旗を振るが、あの後、あの手旗はどう処理されているのだろう?
もはやゴミ箱などには恐れ多くて捨てられないのではないか?
神主に祝詞でも上げてもらい、儀式を執り行って廃棄することになるのだろうか。
非正規労働者の首切りや母子家庭への加算打ち切りの際には、そんなありがたい祝詞もなかったようだが。
くわばら、くわばら、である。
女の恋は・・・ ― 2009/08/23 02:45:34
今日、FM聞いていて、なるほど、上手いこというなあ、と思ったのですが、
女の恋は『上書き保存』
だと。とすると、さしづめ、男の方は、
男の恋は『別名で保存』
なのかもしれません。
女性は、ある男性を好きになると、気持ち全体がその男性に切り替わってしまい、それまでの男性への気持ちは失せてしまう。
上書き保存されるように。
対して、男性の方は、一つの恋を失って新たな恋を得ても、それは別の名前で、心の中に新たな部屋を作ってそこに保存される。
以前の女性への気持ちはそれまでの部屋のドアに鍵を掛けて封印されるけれど、部屋の中の気持ちが消えてしまう訳ではない。
何かのきっかけで部屋の鍵が開いてしまうこともあるし、それまでのドアが開いたまま、新しい部屋が出来てしまうこともある。
女性の方が一途で男性の方が不誠実だ、と思われるかもしれませんが、男性からすれば、新たな恋人に走った女性を見て、
ついこの間まで、あんなに気持ちも体も繋がっていたのに、どうしてそんな態度を取れるんだ?!
と、ショックを受けるのではないでしょうか。(^^;)
女性の気持ちが理解出来ず、女性の方こそ薄情だ、悪魔だ、ということになるかもしれません。
逆に女性から見れば、男性が他の女性に気持ちを寄せるのを見て、
彼の気持ちは別の女性に切り替わってしまっている、私への気持ちなど、もうないんだ、
と思ってしまうのでしょうが、
男性にしてみれば、心の中の別々の部屋で、気持ちは併存している訳です。
しかし、いずれにしろ、男は、女は、というのは一般的な場合について言っているので、個々の男性、女性にそのまま当て嵌まる訳でもありません。
『上書き保存』する男性もいれば、『別名で保存』する女性もいることでしょうし、
一人の男性(または女性)の中で、ずっと『上書き保存』してきたのに、何故か今回は『別名で保存』されてしまった、ということもあるでしょう。
或いはその逆も。
男と女のこと(いや、男と男、女と女のことも同様か)に定説はない、というのが正解なのでしょうね。
女の恋は『上書き保存』
だと。とすると、さしづめ、男の方は、
男の恋は『別名で保存』
なのかもしれません。
女性は、ある男性を好きになると、気持ち全体がその男性に切り替わってしまい、それまでの男性への気持ちは失せてしまう。
上書き保存されるように。
対して、男性の方は、一つの恋を失って新たな恋を得ても、それは別の名前で、心の中に新たな部屋を作ってそこに保存される。
以前の女性への気持ちはそれまでの部屋のドアに鍵を掛けて封印されるけれど、部屋の中の気持ちが消えてしまう訳ではない。
何かのきっかけで部屋の鍵が開いてしまうこともあるし、それまでのドアが開いたまま、新しい部屋が出来てしまうこともある。
女性の方が一途で男性の方が不誠実だ、と思われるかもしれませんが、男性からすれば、新たな恋人に走った女性を見て、
ついこの間まで、あんなに気持ちも体も繋がっていたのに、どうしてそんな態度を取れるんだ?!
と、ショックを受けるのではないでしょうか。(^^;)
女性の気持ちが理解出来ず、女性の方こそ薄情だ、悪魔だ、ということになるかもしれません。
逆に女性から見れば、男性が他の女性に気持ちを寄せるのを見て、
彼の気持ちは別の女性に切り替わってしまっている、私への気持ちなど、もうないんだ、
と思ってしまうのでしょうが、
男性にしてみれば、心の中の別々の部屋で、気持ちは併存している訳です。
しかし、いずれにしろ、男は、女は、というのは一般的な場合について言っているので、個々の男性、女性にそのまま当て嵌まる訳でもありません。
『上書き保存』する男性もいれば、『別名で保存』する女性もいることでしょうし、
一人の男性(または女性)の中で、ずっと『上書き保存』してきたのに、何故か今回は『別名で保存』されてしまった、ということもあるでしょう。
或いはその逆も。
男と女のこと(いや、男と男、女と女のことも同様か)に定説はない、というのが正解なのでしょうね。
海賊対策に本当に軍が有効か? ― 2009/08/23 11:17:43
ソマリア沖の海賊対策では、日本では自衛隊でしか対処出来ない、との自民・公明党の声が大きいですが、
マラッカ海峡で頻発する海賊対策では、当の日本が主導して、近隣各国の海上保安庁レベルでの協力態勢(「アジア海賊対策地域協力協定」)を築き上げています。
アジア諸国だけでなく、同じくマラッカ海峡を利用するノルウェーやオランダからも、同協定への加盟申請が来ているとのことです。
非軍事機構だから、却って有効なことがある、何でもかんでも軍を出せばいい訳ではない、ということは、日本こそが主張してゆくべきことではないでしょうか?
東京新聞記事
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009082202000258.html
マラッカ海峡で頻発する海賊対策では、当の日本が主導して、近隣各国の海上保安庁レベルでの協力態勢(「アジア海賊対策地域協力協定」)を築き上げています。
アジア諸国だけでなく、同じくマラッカ海峡を利用するノルウェーやオランダからも、同協定への加盟申請が来ているとのことです。
非軍事機構だから、却って有効なことがある、何でもかんでも軍を出せばいい訳ではない、ということは、日本こそが主張してゆくべきことではないでしょうか?
東京新聞記事
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2009082202000258.html
『サマーウォーズ』 ― 2009/08/23 21:43:40
2009年8月23日(日)/福井シネマ
★★★★★(★5つで満点)
製作:2009年度
監督:細田守
脚本:奥寺佐渡子
出演:声の出演:神木隆之介/桜庭ななみ/谷村美月/仲里依紗/富司純子
================================
映画が好きで本当に良かった、と思いました。
こんないい映画があるんだぞ、と人に薦めたくなるような映画です。
OZというインターネット上の仮想空間と主人公が夏休みにやってきた上田市の大家族とが舞台になるのですが、そのどちらもが過不足無く丁寧に描かれています。
ネット上の仮想空間と現実社会との関連についてもよく調べられていますし、20数人集まってくる大家族の描写も、観ていて混乱することがありません。
その土台の上に、大家族の中に放り込まれた主人公のドラマが展開されます。
ここに描かれた家族は理想像かもしれません。けれど、思えば、私が子供の頃は、親の実家と言うのはこういう感じでした。
家族と言う繋がりを土台に、一人一人がベスト尽くすことの大事さ。
おばあちゃんの言葉に思わず、我が身を振り返ってしまいました。
二点だけ。
主人公が指名手配されたのはどうしてなのか、分からない。
おばあちゃんがあちこちに電話を掛けるシーンは、相手のリアクションも出した方がよかったのでは?
今年の、今のところベスト1としたいです。
2位は「愛のむきだし」です。
★★★★★(★5つで満点)
製作:2009年度
監督:細田守
脚本:奥寺佐渡子
出演:声の出演:神木隆之介/桜庭ななみ/谷村美月/仲里依紗/富司純子
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映画が好きで本当に良かった、と思いました。
こんないい映画があるんだぞ、と人に薦めたくなるような映画です。
OZというインターネット上の仮想空間と主人公が夏休みにやってきた上田市の大家族とが舞台になるのですが、そのどちらもが過不足無く丁寧に描かれています。
ネット上の仮想空間と現実社会との関連についてもよく調べられていますし、20数人集まってくる大家族の描写も、観ていて混乱することがありません。
その土台の上に、大家族の中に放り込まれた主人公のドラマが展開されます。
ここに描かれた家族は理想像かもしれません。けれど、思えば、私が子供の頃は、親の実家と言うのはこういう感じでした。
家族と言う繋がりを土台に、一人一人がベスト尽くすことの大事さ。
おばあちゃんの言葉に思わず、我が身を振り返ってしまいました。
二点だけ。
主人公が指名手配されたのはどうしてなのか、分からない。
おばあちゃんがあちこちに電話を掛けるシーンは、相手のリアクションも出した方がよかったのでは?
今年の、今のところベスト1としたいです。
2位は「愛のむきだし」です。
8月30日は、最高裁裁判官の国民審査の日でもあります。 ― 2009/08/28 00:23:15
常々、形骸化が言われているこの制度。
しかしながら行政、立法、司法の三権のうち、司法に対して国民がコントロールを出来るのは、今のところ、この制度しかない訳です。
尤も、つけていいのは支持しない裁判官に対する「×」のみで、他の裁判官に「○」を付けたりすると全体が無効になってしまう、などという、わざと分かりにくくしているとしか思えないやり方は変えなければいけませんが。
更に、新聞に出ている各裁判官のプロフィールを見ても、この判決は支持出来てもこの判決は支持出来ない、とか悩ましいのは事実。
けれど、「竹内行夫」という裁判官に対しては「×」を付けるべきのようです。
==================================
「きっこの日記」より
まず、何と言っても、絶対に全国民が「×」をつけるべきなのが、コイズミに「アメリカのイラク攻撃を支持するように」って迫り、ニポンをイラク戦争の加害者にした張本人の「竹内行夫」だ。竹内行夫は、外務省の元事務次官で、イラク戦争の勃発時に、当時、駐レバノン大使だった天木直人さんが「アメリカべったりの小泉政権のイラク戦争支持に反対する」って正論を言ったら、この発言を理由に天木直人さんのクビを切った男だ。
そして、この「アメリカべったり」のコイズミを支持しまくり、ニポンをアメリカの戦争に加担させ、天文学的な血税をアメリカの人殺しのために献上させ、そのゴホウビとして、外務省の事務次官から最高裁判所の裁判官へと天下りさせてもらったのだ。ま、この辺のことは、天木直人さんのベストセラー、「さらば外務省」(講談社)を読めば詳しく書いてあるけど、この本には「私は小泉首相と売国官僚を許さない」っていうサブタイトルがついてて、この「売国官僚」ってのが、他でもない竹内行夫のことなのだ。
そして、何よりもビックル一気飲みなのが、この竹内行夫って男は、一度も司法試験を受けたこともない「無資格者」だってことだ。アメリカに癒着したコイズミを支持しまくり、アメリカの戦争に協力したゴホウビとして、司法の資格も持ってない裁判のドシロートなのに、こともあろうにコイズミは、こんなヤツを最高裁判所の裁判官へと天下りさせたのだ。今、法律の知識がないあたしたち一般市民が、裁判所へ引っぱり出されて、有罪か無罪か、有罪なら死刑か無期懲役か、なんていう重い判断を強要される「裁判員制度」が社会問題になってるけど、この竹内行夫は、あたしたち一般市民とおんなじ「法律の知識がないドシロート」なのにも関わらず、平然と最高裁判所の裁判官をやってるのだ。
====================================
詳細はこちら、
http://www3.diary.ne.jp/user/338790/
しかしながら行政、立法、司法の三権のうち、司法に対して国民がコントロールを出来るのは、今のところ、この制度しかない訳です。
尤も、つけていいのは支持しない裁判官に対する「×」のみで、他の裁判官に「○」を付けたりすると全体が無効になってしまう、などという、わざと分かりにくくしているとしか思えないやり方は変えなければいけませんが。
更に、新聞に出ている各裁判官のプロフィールを見ても、この判決は支持出来てもこの判決は支持出来ない、とか悩ましいのは事実。
けれど、「竹内行夫」という裁判官に対しては「×」を付けるべきのようです。
==================================
「きっこの日記」より
まず、何と言っても、絶対に全国民が「×」をつけるべきなのが、コイズミに「アメリカのイラク攻撃を支持するように」って迫り、ニポンをイラク戦争の加害者にした張本人の「竹内行夫」だ。竹内行夫は、外務省の元事務次官で、イラク戦争の勃発時に、当時、駐レバノン大使だった天木直人さんが「アメリカべったりの小泉政権のイラク戦争支持に反対する」って正論を言ったら、この発言を理由に天木直人さんのクビを切った男だ。
そして、この「アメリカべったり」のコイズミを支持しまくり、ニポンをアメリカの戦争に加担させ、天文学的な血税をアメリカの人殺しのために献上させ、そのゴホウビとして、外務省の事務次官から最高裁判所の裁判官へと天下りさせてもらったのだ。ま、この辺のことは、天木直人さんのベストセラー、「さらば外務省」(講談社)を読めば詳しく書いてあるけど、この本には「私は小泉首相と売国官僚を許さない」っていうサブタイトルがついてて、この「売国官僚」ってのが、他でもない竹内行夫のことなのだ。
そして、何よりもビックル一気飲みなのが、この竹内行夫って男は、一度も司法試験を受けたこともない「無資格者」だってことだ。アメリカに癒着したコイズミを支持しまくり、アメリカの戦争に協力したゴホウビとして、司法の資格も持ってない裁判のドシロートなのに、こともあろうにコイズミは、こんなヤツを最高裁判所の裁判官へと天下りさせたのだ。今、法律の知識がないあたしたち一般市民が、裁判所へ引っぱり出されて、有罪か無罪か、有罪なら死刑か無期懲役か、なんていう重い判断を強要される「裁判員制度」が社会問題になってるけど、この竹内行夫は、あたしたち一般市民とおんなじ「法律の知識がないドシロート」なのにも関わらず、平然と最高裁判所の裁判官をやってるのだ。
====================================
詳細はこちら、
http://www3.diary.ne.jp/user/338790/
稲田ともみさんは、 ― 2009/08/28 00:31:58
稲田ともみさんはどうぞ、民間にお戻りになって頂きたいと思います。
内容が気にくわないからと言って、
あと1ヶ月も待てば映画館で一般公開され、一般の国民としていくらでも観ることの出来る映画を、
文化庁の役人を動かして、民間業者である映画配給会社に、無理矢理、自分たちのためだけに「試写会」を行わせた。
あと1ヶ月待てば普通に、一般の国民として観ることの出来る映画を、どのような理由で敢えて、「試写会」を行わせたのでしょうか?
役人を動かす、ということは、税金を使うと言うことです。
そういう認識はなかったのでしょうか?
自分がしたいことなら何だって許される、そういう驕りが、そこにはなかったでしょうか?
更に、政治家が、特定の映画を狙い撃ちして「問題がある」と言って、一般公開前に「試写会」を要求する、その異常さに気が付かなかったのでしょうか?
まるで一般国民の目に触れさせる前に検閲を行うような振る舞いです。
案の定、この「試写会」の後、右翼(自称「愛国主義者」)たちが騒ぎ始め、映画館に上映中止の圧力をかけ、一時は1館を残してこの日本中で、この映画の公開が危ぶまれる事態にまで発展してしまいました。
もし稲田さんの中に、こういうけしからん映画は国民の目に触れさせることがあってはならない、という思いがあってこういうことをしたとしたら、
それは少なくとも、民主主義国家の政治家としてはやってはならないことであり、政治家失格と言われなければなりません。
また、よしんばそのような意図がなかったとしても、表現の自由、民主主義の保持という観点から、一般人より権力や影響力を持つ政治家として、余りに浅はかな行為だったと言われて仕方のないことです。
しかも、稲田氏は表現の自由や民主主義に精通している筈の弁護士でもあります。
民間人としてなら、自分の思いに従ってどのような行為を行おうと、映画公開反対の運動を行おうと、法律に触れない限り、自由です。
しかし、政治家となると、そうは行きません。
どのような主義主張も、表現する自由がある、というこの国の民主主義の制度・思潮を率先して守ることが、まず要請される筈です。
この観点から、8月30日の選挙で、私は稲田さんには投票しません。
稲田さんは、この映画「靖国」が、政府から助成金を貰っているのに、その内容が政府の主張と(稲田さんの主張と?)合わないことを問題にしていたようですが、
そもそもこういう文化的な助成金というのは作品の内容が優れているかどうかを基準に為されるもので、その主義主張が政府の(或いは一部の)主義主張と合っているかどうかを基準にするのではありません。
そんなことをしたら、それは検閲になってしまいます。
かつて、ソ連・東欧圏があった頃、それらの国は「社会主義」国でしたから、そこで製作される映画は全て税金で作られる、謂わば国営の映画でした。
製作に当たってはまずシナリオを申請し、国がその内容を審査し、承認したものだけにカネが下り、製作を許されたのです。
その国の一つ、ポーランドに、アンジェイ・ワイダという監督がいました。
彼はその体制下で、「灰とダイヤモンド」や「鉄の男」など、体制批判の映画を製作しました。
逆に言えば、国が、その映画の製作を許可した、ということです。
その主義主張が政府やその政治体制を批判するものであっても、内容的に優れている、と判断し、製作を許されたのです。
勿論、あからさまにその時の体制を批判するようなものなら許可されなかったでしょうが、いくばくかの批判なら、許可するだけの度量、あるいは民主主義へのある程度の理解が、当時のポーランド政府にはあったということです。
もし、その作品の主義主張により、政府がカネを出すのがおかしいというのなら、今の私たちの政府は、当時のポーランドよりも民主主義というものへの理解がないのだ、ということになります。
そんな情けないことはありません。
そして、そのような主張をして1本の映画を槍玉にあげた政治家を、
そのような政治家が私の選挙区から出ていた、と言うことを、
本当に情けなく感じます。
ですから、私は、
この際、是非とも、稲田さんには民間に戻って頂きたい、と思います。
どうぞ一民間人として、思う存分ご活躍なさって下さい。
内容が気にくわないからと言って、
あと1ヶ月も待てば映画館で一般公開され、一般の国民としていくらでも観ることの出来る映画を、
文化庁の役人を動かして、民間業者である映画配給会社に、無理矢理、自分たちのためだけに「試写会」を行わせた。
あと1ヶ月待てば普通に、一般の国民として観ることの出来る映画を、どのような理由で敢えて、「試写会」を行わせたのでしょうか?
役人を動かす、ということは、税金を使うと言うことです。
そういう認識はなかったのでしょうか?
自分がしたいことなら何だって許される、そういう驕りが、そこにはなかったでしょうか?
更に、政治家が、特定の映画を狙い撃ちして「問題がある」と言って、一般公開前に「試写会」を要求する、その異常さに気が付かなかったのでしょうか?
まるで一般国民の目に触れさせる前に検閲を行うような振る舞いです。
案の定、この「試写会」の後、右翼(自称「愛国主義者」)たちが騒ぎ始め、映画館に上映中止の圧力をかけ、一時は1館を残してこの日本中で、この映画の公開が危ぶまれる事態にまで発展してしまいました。
もし稲田さんの中に、こういうけしからん映画は国民の目に触れさせることがあってはならない、という思いがあってこういうことをしたとしたら、
それは少なくとも、民主主義国家の政治家としてはやってはならないことであり、政治家失格と言われなければなりません。
また、よしんばそのような意図がなかったとしても、表現の自由、民主主義の保持という観点から、一般人より権力や影響力を持つ政治家として、余りに浅はかな行為だったと言われて仕方のないことです。
しかも、稲田氏は表現の自由や民主主義に精通している筈の弁護士でもあります。
民間人としてなら、自分の思いに従ってどのような行為を行おうと、映画公開反対の運動を行おうと、法律に触れない限り、自由です。
しかし、政治家となると、そうは行きません。
どのような主義主張も、表現する自由がある、というこの国の民主主義の制度・思潮を率先して守ることが、まず要請される筈です。
この観点から、8月30日の選挙で、私は稲田さんには投票しません。
稲田さんは、この映画「靖国」が、政府から助成金を貰っているのに、その内容が政府の主張と(稲田さんの主張と?)合わないことを問題にしていたようですが、
そもそもこういう文化的な助成金というのは作品の内容が優れているかどうかを基準に為されるもので、その主義主張が政府の(或いは一部の)主義主張と合っているかどうかを基準にするのではありません。
そんなことをしたら、それは検閲になってしまいます。
かつて、ソ連・東欧圏があった頃、それらの国は「社会主義」国でしたから、そこで製作される映画は全て税金で作られる、謂わば国営の映画でした。
製作に当たってはまずシナリオを申請し、国がその内容を審査し、承認したものだけにカネが下り、製作を許されたのです。
その国の一つ、ポーランドに、アンジェイ・ワイダという監督がいました。
彼はその体制下で、「灰とダイヤモンド」や「鉄の男」など、体制批判の映画を製作しました。
逆に言えば、国が、その映画の製作を許可した、ということです。
その主義主張が政府やその政治体制を批判するものであっても、内容的に優れている、と判断し、製作を許されたのです。
勿論、あからさまにその時の体制を批判するようなものなら許可されなかったでしょうが、いくばくかの批判なら、許可するだけの度量、あるいは民主主義へのある程度の理解が、当時のポーランド政府にはあったということです。
もし、その作品の主義主張により、政府がカネを出すのがおかしいというのなら、今の私たちの政府は、当時のポーランドよりも民主主義というものへの理解がないのだ、ということになります。
そんな情けないことはありません。
そして、そのような主張をして1本の映画を槍玉にあげた政治家を、
そのような政治家が私の選挙区から出ていた、と言うことを、
本当に情けなく感じます。
ですから、私は、
この際、是非とも、稲田さんには民間に戻って頂きたい、と思います。
どうぞ一民間人として、思う存分ご活躍なさって下さい。
最高裁裁判官の情報です。 ― 2009/08/28 02:04:18
小選挙区で ― 2009/08/31 10:25:13
自民が全勝したのは、
福井、鳥取、島根、高知
の4県。
何か、なるほどなぁ、と思ってしまいます。
悲しいですね。
福井、鳥取、島根、高知
の4県。
何か、なるほどなぁ、と思ってしまいます。
悲しいですね。
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