小田実『何でも見てやろう』を読んで ― 2008/04/05 01:38:03
昨年7月に亡くなった小田実氏の『何でも見てやろう』を今さらながら読んでいます。
前々から読もうと思いつつ、氏が亡くなったのを期にやっと手に取った次第。
お恥ずかしい。
氏の「まあなんとかなるやろ」というエネルギッシュな行動と、どんな境遇でも物怖じせず、ガールフレンドを作ってしまう(笑)度量っぷりが非常に面白く、読み進めたのですが、
これと前後してたまたま『私たちは、脱走兵を越境させた』(高橋武智著)を読んでいて、ここにも出てくる小田実氏の活動の背景にはこういうことがあったのか、ということを知ることができたのも、嬉しい偶然でした。
その『何でも見てやろう』の一節です。
パリ、凱旋門の辺りをアメリカの女の子とぶらついていた氏は、凱旋門の真下にある無名戦士の墓で毎夕行われる儀式にたまたま行き当たります。
「ラ・マルセイエーズ」が奏される中、在郷軍人会の黙祷と共に二人も頭を垂れるのですが、その時、氏は、ぼろぼろと泣いてしまいます。
女の子に、何故泣いたのかを訊かれ、氏はその理由をこう書いています。
少し長くなりますが、引用します。
『私が泣いたのは、むくわれずして死んでいった同胞たちの事を、そのとき、思い出したからだった。戦死者はフランスにもアメリカにもあった、というのなら、私はただ一つの事だけ言っておこう。彼らには、とにもかくにも、ナチズム、ファシズム打倒という目的があった。だが、私の同胞たちには、いったい何があったのか。彼らの死は全くの犬死にであり、彼らをその犬死にに追いやった張本人の一人は、ついこの間まで、われらの「民主政府」の首相であり、口をぬぐって「民主主義」(彼らはたしかそれとの戦いの中で殺されたのではなかったのか)を説いている。ーー
そのすべての思いが、そのとき、凱旋門で私の胸にきたのだった。いったい、彼らは何のために死んだのだ? 私は繰り返し思った。彼らーーそれは私の同胞ばかりの事ではなかった。ドイツの兵士のことであり、イタリアの兵士のことでもあった。いや、今やアルジェリアに駆り出されて、死に直面させられている当のフランスの兵士のことでもあった。
こうした私の涙は、アメリカでもヨーロッパでもやっていることだからといって、巨大な無名戦士の墓とやらをおったて、そのまえで、あるいは靖国神社の大鳥居の前で、鳴り物入りで自衛隊の行進をやってみせるというようなことには、決して結び付かないであろう。アメリカ人はみんな愛国心を持っている。我々も持たなくちゃいかん、というような視察旅行の代議士氏の結論にも結び付かないであろう。アメリカはどこに行っても星条旗がかかげてある、だから、我々も日章旗をおったてるべきだという議論にも、結び付かないだろう。おそらく、それらのむくわれざる死者をして安らかに眠らしめるただ一つの道は、判りきったことだが、ふたたび、このような死者を出さないこと、それ以外にはないのだ。すくなくとも、もし私の涙が結び付くものがあるとすれば、それはそこにおいてしかない。そして、二年間の旅を通じて私の体内にも何ほどかのナショナリズム、あるいは「愛国心」というものが芽生えてきているとしたら、それは、たぶん、その結び付きから生まれ出てきたものなのであろう。』
(『何でも見てやろう』小田実著。講談社文庫。421ページ)
どんな戦争であれ、兵として戦場へ赴くことになった者は、家族を思い、その無事を願って、行った事でしょう。
そのことに、どの国の兵であれ違いはない筈です。
ここで犬死にと言っているのは、何のための戦争、どういう戦争のためだったのか、ということを言っています。
先の戦争で、日本が自らの利益(「国益」?)のために中国、朝鮮、他のアジア諸国を侵略し略奪したのは明らかです。「五族共和」や「王道楽土」はそのための詭弁に過ぎませんでした。
嘘の題目で戦場へ駆りだした者を、死してなお、同じ題目で祀ろうとするのは、二重に死者を騙し、冒涜することではないでしょうか?
本当に先の戦争での死者を弔うのなら、そのような事態を起こしてしまったことの真相を明らかにし、その過ちを反省し、二度と同じ轍を踏まないようにする、そうするしかないのではないでしょうか?
前々から読もうと思いつつ、氏が亡くなったのを期にやっと手に取った次第。
お恥ずかしい。
氏の「まあなんとかなるやろ」というエネルギッシュな行動と、どんな境遇でも物怖じせず、ガールフレンドを作ってしまう(笑)度量っぷりが非常に面白く、読み進めたのですが、
これと前後してたまたま『私たちは、脱走兵を越境させた』(高橋武智著)を読んでいて、ここにも出てくる小田実氏の活動の背景にはこういうことがあったのか、ということを知ることができたのも、嬉しい偶然でした。
その『何でも見てやろう』の一節です。
パリ、凱旋門の辺りをアメリカの女の子とぶらついていた氏は、凱旋門の真下にある無名戦士の墓で毎夕行われる儀式にたまたま行き当たります。
「ラ・マルセイエーズ」が奏される中、在郷軍人会の黙祷と共に二人も頭を垂れるのですが、その時、氏は、ぼろぼろと泣いてしまいます。
女の子に、何故泣いたのかを訊かれ、氏はその理由をこう書いています。
少し長くなりますが、引用します。
『私が泣いたのは、むくわれずして死んでいった同胞たちの事を、そのとき、思い出したからだった。戦死者はフランスにもアメリカにもあった、というのなら、私はただ一つの事だけ言っておこう。彼らには、とにもかくにも、ナチズム、ファシズム打倒という目的があった。だが、私の同胞たちには、いったい何があったのか。彼らの死は全くの犬死にであり、彼らをその犬死にに追いやった張本人の一人は、ついこの間まで、われらの「民主政府」の首相であり、口をぬぐって「民主主義」(彼らはたしかそれとの戦いの中で殺されたのではなかったのか)を説いている。ーー
そのすべての思いが、そのとき、凱旋門で私の胸にきたのだった。いったい、彼らは何のために死んだのだ? 私は繰り返し思った。彼らーーそれは私の同胞ばかりの事ではなかった。ドイツの兵士のことであり、イタリアの兵士のことでもあった。いや、今やアルジェリアに駆り出されて、死に直面させられている当のフランスの兵士のことでもあった。
こうした私の涙は、アメリカでもヨーロッパでもやっていることだからといって、巨大な無名戦士の墓とやらをおったて、そのまえで、あるいは靖国神社の大鳥居の前で、鳴り物入りで自衛隊の行進をやってみせるというようなことには、決して結び付かないであろう。アメリカ人はみんな愛国心を持っている。我々も持たなくちゃいかん、というような視察旅行の代議士氏の結論にも結び付かないであろう。アメリカはどこに行っても星条旗がかかげてある、だから、我々も日章旗をおったてるべきだという議論にも、結び付かないだろう。おそらく、それらのむくわれざる死者をして安らかに眠らしめるただ一つの道は、判りきったことだが、ふたたび、このような死者を出さないこと、それ以外にはないのだ。すくなくとも、もし私の涙が結び付くものがあるとすれば、それはそこにおいてしかない。そして、二年間の旅を通じて私の体内にも何ほどかのナショナリズム、あるいは「愛国心」というものが芽生えてきているとしたら、それは、たぶん、その結び付きから生まれ出てきたものなのであろう。』
(『何でも見てやろう』小田実著。講談社文庫。421ページ)
どんな戦争であれ、兵として戦場へ赴くことになった者は、家族を思い、その無事を願って、行った事でしょう。
そのことに、どの国の兵であれ違いはない筈です。
ここで犬死にと言っているのは、何のための戦争、どういう戦争のためだったのか、ということを言っています。
先の戦争で、日本が自らの利益(「国益」?)のために中国、朝鮮、他のアジア諸国を侵略し略奪したのは明らかです。「五族共和」や「王道楽土」はそのための詭弁に過ぎませんでした。
嘘の題目で戦場へ駆りだした者を、死してなお、同じ題目で祀ろうとするのは、二重に死者を騙し、冒涜することではないでしょうか?
本当に先の戦争での死者を弔うのなら、そのような事態を起こしてしまったことの真相を明らかにし、その過ちを反省し、二度と同じ轍を踏まないようにする、そうするしかないのではないでしょうか?
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