『グラン・トリノ』2009/05/01 01:00:36

2009年4月29日(水)/福井コロナワールド
★★★★★(★5つで満点)
製作:2008年度
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ニック・シェンク
出演:クリント・イーストウッド/ビー・バン/アーニー・ハー/クリストファー・カーリー
================================
これを満点にせずしてなんとしよう。
今年度、これまでに観た映画の中で、邦画のナンバー1は「ノンコ36歳」、洋画のナンバー1はこれだ。
現代アメリカの老いと、その中に宿っている希望とを謳い上げた傑作だ。


(以下、ネタバレあり)
クリント・イーストウッド演じる人物像が実にいい。
自分のことは全て自分で解決する。
トラブルが起こっても警察など当てにしない。自分の勘で行動する。
仕事と、自分の国に誇りを持ち、息子たちが乗る日本車に悪態をつき、黒人や街に増えてきたアジア人に平気で差別的な言葉を吐く。
てっきり私たちは、この老人を典型的な右翼・保守主義者と思ってしまう。
いい意味でも悪い意味でも。

だが、この老人は、右翼であってもバカではない。
本当に大切なのは肌の色などではない、ということを分かっている。
だから、隣りに越してきたモン族の娘が、知恵もあれば度胸もあると知ると気を許し、彼女の、意気地無しのホワイトのボーイフレンドには容赦ない。

自分がすること、してきたことには自分で責任を持つ。
そのための力を蓄えるよう努力すること。
アメリカが持っていた筈のその「保守精神」を、次に伝えようとした時、そこには肌の色の違う人間しかいなかったというのは、皮肉に見える。

だが、クリント・イーストウッド監督はそうは多分、思っていない。
肌の色など関係ない。そんなものなど包み込んで、自分の足で立つ精神を伝えてゆくのが、アメリカという国なのだ、と、思っている。

そして恐らく、そのためには自らを変える勇気をも、必要なのだ、とも。
だからこそ、自らが背負った罪を若者に負わせない為に、彼はあのラストを選んだのだ。
そしてそこに、これまでの8年間のアメリカに対する、異議も、私は感じてしまう。

今のアメリカという国のありようとこれからを、一人の(白人の)老人と他の人種の若者とを通して描いた傑作だ。
若者がグラン・トリノで走って行った、海沿いの遠い、美しい道のラスト・シーンに、これからのアメリカの希望を見つめたい、という思いが籠められているように感じた。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://i-apple.asablo.jp/blog/2009/05/01/4278279/tb

カウンター 無料SEO対策激安発見オンラインカジノ激安ショップ