「幕末太陽傳」 ― 2012/03/15 01:54:37
ネタバレあり、です。
===================================
「生きるんでぃ!」
乱世を軽やかに生き抜く庶民の力に
明日への希望が沸いてくる!
これが、この映画の宣伝コピーだ。
初公開時は知らない。今回のデジタル修復版でのリバイバル公開でのコピー。
だが、自称映画ファンとしては恥ずかしくも初めて「幕末太陽傳」を観た印象は、このコピーとは違った。
ラスト・シーン。主人公の佐平次が「天国も地獄も関係ねいや。生きるんでぃ!」と海沿いの街道を駆けて去ってゆくシーンには、私は何か不安を感じさせる物哀しいものを感じてしまい、仕方が無かった。
佐平次の、意気が良く軽やかな物言いや腰の軽さはスクリーンの中で終始変わらないが、終盤になるにつれその顔には次第に死相が表れてくる。
そしていざ街を出ようと言う時に、どうしてもと請われて対峙した客の前で、佐平次は為す術もなくなってしまう。
欲に憑かれて腰を浮かしているような店の客や、自分勝手な思いに突き動かされているような侍ならば、想いのままにあしらうことの出来る佐平次だったが、己の分を知り、その上で遊びに来ている、そういう相手として本当に小春のことを心配するその客の前では、佐平次のどんな言葉も通じないのだ。
この映画は、自分勝手な思想にかぶれた侍たち(支配階級)に対して、自らの知恵と力を頼りに日々を生きる庶民の意気と強さを描いたもの、と評価されているようだが、違うのではないか?
侍も、佐平次が代表する町民も、同じなのではないか?
欲望か、天下国家を論じる思想かの違いはあっても、物を作りそれを糧に食べてゆく生活を忘れ、己の想いに浮ついて生きている、と言う点で、高杉が代表する侍も、佐平次が代表する町民も同じなのだ。
高杉たちが異人館に放った火を町民達が観て楽しんでいるシーンが、それを象徴している。
彼らに対してただ一人、異彩を放っている登場人物が、最後に現れる小春の客なのだ。
その身元などは明らかにされないが、実直な農民のように描かれている。
彼の元から、街から逃げ出そうとする佐平次に、その客が呼び掛ける。
「嘘をつくと地獄に堕ちるぞ!」
それに応えた佐平次のセリフが宣伝コピーになっている冒頭のセリフだが、
客が放った、
「嘘をつくと地獄に堕ちるぞ!」
このセリフこそが、この映画で一番、テーマを表わしているように私には思えた。
福島原発事故の後に、この映画を観たからだろうか。
佐平次が駆けて行った海沿いの街道の向こうには、原発があるように感じられて仕方が無かった。(方向的には、多分、福島とは逆だと思うが)
佐平次の駆けて行ったあの先には、戦争が有り、震災があり、原発事故があるのだ。
===================================
「生きるんでぃ!」
乱世を軽やかに生き抜く庶民の力に
明日への希望が沸いてくる!
これが、この映画の宣伝コピーだ。
初公開時は知らない。今回のデジタル修復版でのリバイバル公開でのコピー。
だが、自称映画ファンとしては恥ずかしくも初めて「幕末太陽傳」を観た印象は、このコピーとは違った。
ラスト・シーン。主人公の佐平次が「天国も地獄も関係ねいや。生きるんでぃ!」と海沿いの街道を駆けて去ってゆくシーンには、私は何か不安を感じさせる物哀しいものを感じてしまい、仕方が無かった。
佐平次の、意気が良く軽やかな物言いや腰の軽さはスクリーンの中で終始変わらないが、終盤になるにつれその顔には次第に死相が表れてくる。
そしていざ街を出ようと言う時に、どうしてもと請われて対峙した客の前で、佐平次は為す術もなくなってしまう。
欲に憑かれて腰を浮かしているような店の客や、自分勝手な思いに突き動かされているような侍ならば、想いのままにあしらうことの出来る佐平次だったが、己の分を知り、その上で遊びに来ている、そういう相手として本当に小春のことを心配するその客の前では、佐平次のどんな言葉も通じないのだ。
この映画は、自分勝手な思想にかぶれた侍たち(支配階級)に対して、自らの知恵と力を頼りに日々を生きる庶民の意気と強さを描いたもの、と評価されているようだが、違うのではないか?
侍も、佐平次が代表する町民も、同じなのではないか?
欲望か、天下国家を論じる思想かの違いはあっても、物を作りそれを糧に食べてゆく生活を忘れ、己の想いに浮ついて生きている、と言う点で、高杉が代表する侍も、佐平次が代表する町民も同じなのだ。
高杉たちが異人館に放った火を町民達が観て楽しんでいるシーンが、それを象徴している。
彼らに対してただ一人、異彩を放っている登場人物が、最後に現れる小春の客なのだ。
その身元などは明らかにされないが、実直な農民のように描かれている。
彼の元から、街から逃げ出そうとする佐平次に、その客が呼び掛ける。
「嘘をつくと地獄に堕ちるぞ!」
それに応えた佐平次のセリフが宣伝コピーになっている冒頭のセリフだが、
客が放った、
「嘘をつくと地獄に堕ちるぞ!」
このセリフこそが、この映画で一番、テーマを表わしているように私には思えた。
福島原発事故の後に、この映画を観たからだろうか。
佐平次が駆けて行った海沿いの街道の向こうには、原発があるように感じられて仕方が無かった。(方向的には、多分、福島とは逆だと思うが)
佐平次の駆けて行ったあの先には、戦争が有り、震災があり、原発事故があるのだ。
kinkin.tv を紹介します。 ― 2012/03/18 18:04:13
かねてから朝日ニュースターの番組、そしてその中の番組、愛川欽也のパック・イン・ジャーナルを観たいと思っていました。
ですが、福井ケーブルテレビでやらないかと思っているうちに、朝日ニュースターは朝日新聞からテレビ朝日に身売りされることになり、愛川欽也のパック・イン・ジャーナルも3月いっぱいで終わることになってしまいました。
しかし、愛川欽也氏はインターネットに場所を移して、これまで番組に出ていたコメンテーターの方々も一緒に番組を続けることにされました。
どんな番組か?
コメンテーターの一人である池田香代子氏の文章を以下に紹介します。
==================
CATVとはいえ、小出さん、佐藤栄佐久さん、元東芝の後藤さん…原発関連で発言を期待されている方がたが初めて生放送にお出になったのはこの番組でした。
最初から、東電、電事連などなど、固有名詞を挙げて批判していました。
電通・博報堂まで批判していました。
大阪と東京の原発住民投票の代表人(というの?)は、愛川さん、今井一さんをはじめ、5~6人はおられるでしょうか。
護憲で、反原発で、反TPPで、反消費税で、反沖縄米軍基地で、そういうことをバンバン主張する番組です。
==================
勿論、元手はかかるので、
現在、毎月500円での登録を募っています。
毎月500円。これなら出せる。
3月中に具体的な登録方法をサイトで公表するそうです。
サイトはこちら。
http://kinkin.tv/index.html
私は申し込みます。
サイトからアクセス出来る開局の記者会見の映像も面白いですよ。
ですが、福井ケーブルテレビでやらないかと思っているうちに、朝日ニュースターは朝日新聞からテレビ朝日に身売りされることになり、愛川欽也のパック・イン・ジャーナルも3月いっぱいで終わることになってしまいました。
しかし、愛川欽也氏はインターネットに場所を移して、これまで番組に出ていたコメンテーターの方々も一緒に番組を続けることにされました。
どんな番組か?
コメンテーターの一人である池田香代子氏の文章を以下に紹介します。
==================
CATVとはいえ、小出さん、佐藤栄佐久さん、元東芝の後藤さん…原発関連で発言を期待されている方がたが初めて生放送にお出になったのはこの番組でした。
最初から、東電、電事連などなど、固有名詞を挙げて批判していました。
電通・博報堂まで批判していました。
大阪と東京の原発住民投票の代表人(というの?)は、愛川さん、今井一さんをはじめ、5~6人はおられるでしょうか。
護憲で、反原発で、反TPPで、反消費税で、反沖縄米軍基地で、そういうことをバンバン主張する番組です。
==================
勿論、元手はかかるので、
現在、毎月500円での登録を募っています。
毎月500円。これなら出せる。
3月中に具体的な登録方法をサイトで公表するそうです。
サイトはこちら。
http://kinkin.tv/index.html
私は申し込みます。
サイトからアクセス出来る開局の記者会見の映像も面白いですよ。
TBSドラマ「運命の人」最終回にあたり ― 2012/03/19 02:35:50
「運命の人」製作スタッフ及びキャストの皆様
お疲れさまでした。
毎回、個人がその信念ゆえに、国家権力と真っ向から対峙せざるを得なくなった時の辛さ、緊張感が伝わってきて、1時間、見入っていました。
そういうことを真っ正面から取り上げたこのドラマに共感していましたが、
最終回において、主人公の信念、行動を通じて、沖縄のこれまでの、そして現在の被害に改めて陽を当て、このドラマのテーマが現代の日本国民全体への問い掛けであることが表れてくるに至って、いたく感動させられました。
僭越ながら、立派な仕事をされたと思います。
このドラマを支持します。
ただ、残念に思ったのは、最終回での、沖縄の現状、問題点を描いてゆく部分とこれまでのドラマの流れのところとが今一つ、スムーズに繋がっていない印象を受けました。
ラスト・シーンで、主人公とその妻、沖縄での関係者が一堂に会しているのも偶然が過ぎるような感じがしました。
2時間枠に延ばしたとはいえ、内容を詰め込み過ぎ、駆け足過ぎだったような気がします。
18日にあと1回設けて、25日で2時間枠の最終回とすれば、もっとこなれたような気もします。
ともあれ、毎週欠かさずに連続ドラマを観たのは本当に久しぶりでした。
山崎豊子氏の原作も読みたくなりました。
お疲れさま、そして、ありがとうございました。
お疲れさまでした。
毎回、個人がその信念ゆえに、国家権力と真っ向から対峙せざるを得なくなった時の辛さ、緊張感が伝わってきて、1時間、見入っていました。
そういうことを真っ正面から取り上げたこのドラマに共感していましたが、
最終回において、主人公の信念、行動を通じて、沖縄のこれまでの、そして現在の被害に改めて陽を当て、このドラマのテーマが現代の日本国民全体への問い掛けであることが表れてくるに至って、いたく感動させられました。
僭越ながら、立派な仕事をされたと思います。
このドラマを支持します。
ただ、残念に思ったのは、最終回での、沖縄の現状、問題点を描いてゆく部分とこれまでのドラマの流れのところとが今一つ、スムーズに繋がっていない印象を受けました。
ラスト・シーンで、主人公とその妻、沖縄での関係者が一堂に会しているのも偶然が過ぎるような感じがしました。
2時間枠に延ばしたとはいえ、内容を詰め込み過ぎ、駆け足過ぎだったような気がします。
18日にあと1回設けて、25日で2時間枠の最終回とすれば、もっとこなれたような気もします。
ともあれ、毎週欠かさずに連続ドラマを観たのは本当に久しぶりでした。
山崎豊子氏の原作も読みたくなりました。
お疲れさま、そして、ありがとうございました。
「反対派」と「推進派」、どちらを信じられるか? ― 2012/03/24 18:20:52
福島原発事故が起こってから、その状況の推移については、「推進派」と言われる人達の言っていたことは悉く外れ、「反対派」の人達の言っていた通りだったことは、これまで明らかになった通り。
そしてその状況はまだそのままのようです。
関西電力は昨年12月19日から今年3月23日までを節電要請期間としましたが、
その間の電力需給予測について、
1日の電力最大需要を2,665万kw(過去最大だった昨冬の数値)、それに対して1日の平均供給力を2,412万kwと予測し、(原発が無ければ)電力が足りなくなるとしていました。
対して、飯田哲也氏が所長の民間研究機関「環境エネルギー政策研究所」は、最大需要は関西電力と同じ2,665万kwでしたが、供給力は昨夏以降の需給動向を分析し、2,750万kwと予測しました。
結果は、
1日の最大需要は予測より87万kw少ない2,578万kw。
また実際の供給力は2,730万kwで、関西電力の予測を300万kw上回り、「環境エネルギー政策研究所」の予測とほぼ同じ値となりました。
深夜の揚水発電量が増加したことや自家発電量が増加したことなど、「環境エネルギー政策研究所」の算定根拠がほぼ的を得ていたことになります。
関西電力は今夏の需給状況についても原発再稼働がなければ電力供給不足になると言っていますが、これまでの言動を見ればとても信じる事は出来ません。
(3/24付朝日新聞記事より)
そしてその状況はまだそのままのようです。
関西電力は昨年12月19日から今年3月23日までを節電要請期間としましたが、
その間の電力需給予測について、
1日の電力最大需要を2,665万kw(過去最大だった昨冬の数値)、それに対して1日の平均供給力を2,412万kwと予測し、(原発が無ければ)電力が足りなくなるとしていました。
対して、飯田哲也氏が所長の民間研究機関「環境エネルギー政策研究所」は、最大需要は関西電力と同じ2,665万kwでしたが、供給力は昨夏以降の需給動向を分析し、2,750万kwと予測しました。
結果は、
1日の最大需要は予測より87万kw少ない2,578万kw。
また実際の供給力は2,730万kwで、関西電力の予測を300万kw上回り、「環境エネルギー政策研究所」の予測とほぼ同じ値となりました。
深夜の揚水発電量が増加したことや自家発電量が増加したことなど、「環境エネルギー政策研究所」の算定根拠がほぼ的を得ていたことになります。
関西電力は今夏の需給状況についても原発再稼働がなければ電力供給不足になると言っていますが、これまでの言動を見ればとても信じる事は出来ません。
(3/24付朝日新聞記事より)
まだ止まぬマスコミの原発偏向報道 ― 2012/03/24 19:00:01
菅前首相へのバッシングは、同前首相が脱原発の姿勢を明確にしてから激しくなった感がありました。
恐らくその裏には「推進派」の動きがあるのだろうと思っていますが、その傾向は依然として続いているようです。
2月末に発表された福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の報告書の中で、菅首相(当時。以下、同)が、バッテリーの大きさや調達状況など、本来、担当者が行うべき確認事項を自ら電話で担当者に確認し、同席していた人達が、「ぞっとした」思いでそれを見ていた旨、報告されている、とマスコミの多くで報道されました。
主要各紙の見出しは「菅氏の『人災』明らか」(2月28日付産経)、「菅首相介入で混乱拡大」(同読売)、「菅氏の原発対応を批判」(2月29日付朝日)といったもので、これを見た人は皆、やはり菅首相は首相の器ではなかった、辞めさせて良かった、と思った筈です。
ところが、
その検証委員会で、同席者としてヒアリングを受けた下村健一内閣審議官(51)はこう言っているそうです。
「原子力安全・保安院や東電などの関係者らが固まって動かなかった結果、菅首相が電話せざるを得ない状況になったことに『ぞっとした』のであり、首相を批判したわけではない」と。
これでは全く意味が違ってきます。
逆に、動くべき人、組織が動かない状況下で率先して対処しようとした菅首相の動きは、評価されるべきものとなるでしょう。
よく批判されている、東電へ直接乗り込んでいったことについても、あの時点で事故を抑える事が出来なければ文字通り、この国が壊滅しかねない状況だったのであり、その時に東電(福島原発の現場は別としても)の動きが鈍く、ましてや逃げ腰だった事態に対して、東電を本気で事故に取り組ませるために、この国のトップとして必要な判断だったのではないでしょうか。
私はネットの情報こそが正しく、マスコミは一切、信用出来ない、との考えではありませんが、マスコミの情報をそのまま鵜呑みにすることには慎重であるべきです。
同じ新聞の紙面でもあちこちに目を凝らせば色んな情報が見えてきます。(実際、このブログの情報も朝日新聞記事です)
第二次世界大戦時、軍部の検閲を受けていた新聞紙面でさえも、僅かな記事の合間に、隠された情報が見え隠れしていた、とも聞きます。
残念ながら今においても、そういうことを念頭に置く必要があるのかもしれません。
恐らくその裏には「推進派」の動きがあるのだろうと思っていますが、その傾向は依然として続いているようです。
2月末に発表された福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の報告書の中で、菅首相(当時。以下、同)が、バッテリーの大きさや調達状況など、本来、担当者が行うべき確認事項を自ら電話で担当者に確認し、同席していた人達が、「ぞっとした」思いでそれを見ていた旨、報告されている、とマスコミの多くで報道されました。
主要各紙の見出しは「菅氏の『人災』明らか」(2月28日付産経)、「菅首相介入で混乱拡大」(同読売)、「菅氏の原発対応を批判」(2月29日付朝日)といったもので、これを見た人は皆、やはり菅首相は首相の器ではなかった、辞めさせて良かった、と思った筈です。
ところが、
その検証委員会で、同席者としてヒアリングを受けた下村健一内閣審議官(51)はこう言っているそうです。
「原子力安全・保安院や東電などの関係者らが固まって動かなかった結果、菅首相が電話せざるを得ない状況になったことに『ぞっとした』のであり、首相を批判したわけではない」と。
これでは全く意味が違ってきます。
逆に、動くべき人、組織が動かない状況下で率先して対処しようとした菅首相の動きは、評価されるべきものとなるでしょう。
よく批判されている、東電へ直接乗り込んでいったことについても、あの時点で事故を抑える事が出来なければ文字通り、この国が壊滅しかねない状況だったのであり、その時に東電(福島原発の現場は別としても)の動きが鈍く、ましてや逃げ腰だった事態に対して、東電を本気で事故に取り組ませるために、この国のトップとして必要な判断だったのではないでしょうか。
私はネットの情報こそが正しく、マスコミは一切、信用出来ない、との考えではありませんが、マスコミの情報をそのまま鵜呑みにすることには慎重であるべきです。
同じ新聞の紙面でもあちこちに目を凝らせば色んな情報が見えてきます。(実際、このブログの情報も朝日新聞記事です)
第二次世界大戦時、軍部の検閲を受けていた新聞紙面でさえも、僅かな記事の合間に、隠された情報が見え隠れしていた、とも聞きます。
残念ながら今においても、そういうことを念頭に置く必要があるのかもしれません。
映画「アーティスト」 ― 2012/03/30 01:57:39
これは素晴らしいです!
米アカデミー賞作品賞、監督賞など主要5部門受賞も納得。
この映画が素晴らしいからといって、
だから、サイレント映画は素晴らしい、とは言いません。
現代の映画に凡百の作品があるように、
サイレント時代の映画にも凡百の作品があった筈。
けれど、この、トーキーどころかCG、3D全盛の時代にモノクロ、サイレントで勝負するだけあって、この映画はサイレントの長所を見事に活かしています。
例えば、ジョージと、キノフィルム社と契約したペピーが久しぶりに撮影所の階段で出会うシーン。
二人は色々と話をしますが、何を話しているかは当然、分かりません。字幕も出ない。
だけどここで重要なのは何を話しているかではありません。
久しぶりに出会った二人が互いにもっと関わり合いたいと思っていること、二人にとって今は、話す内容よりも二人で話しているということが大事なのだ、ということです。
これが今のトーキー映画だったら、何を話しているかが当然聞こえ、表現されてしまいます。そして、そのことで却って、このシーンで表現されるべきことが曖昧になってしまうのです。
そしてモノクロの美しさ。
鏡越しの二人の笑顔の美しいこと!
この映画は全編、声がないからこその、見せる表現の豊かさ、モノクロシーンの美しさに溢れています。
掛け値無しで面白い!
モノクロだから、サイレントだから、という理由で退屈することがありません。
そして何より、実はこの映画はサイレント映画ではありません。
サイレントという手法を使った、現代の映画なのです。
その意味は、観てのお楽しみです。
米アカデミー賞作品賞、監督賞など主要5部門受賞も納得。
この映画が素晴らしいからといって、
だから、サイレント映画は素晴らしい、とは言いません。
現代の映画に凡百の作品があるように、
サイレント時代の映画にも凡百の作品があった筈。
けれど、この、トーキーどころかCG、3D全盛の時代にモノクロ、サイレントで勝負するだけあって、この映画はサイレントの長所を見事に活かしています。
例えば、ジョージと、キノフィルム社と契約したペピーが久しぶりに撮影所の階段で出会うシーン。
二人は色々と話をしますが、何を話しているかは当然、分かりません。字幕も出ない。
だけどここで重要なのは何を話しているかではありません。
久しぶりに出会った二人が互いにもっと関わり合いたいと思っていること、二人にとって今は、話す内容よりも二人で話しているということが大事なのだ、ということです。
これが今のトーキー映画だったら、何を話しているかが当然聞こえ、表現されてしまいます。そして、そのことで却って、このシーンで表現されるべきことが曖昧になってしまうのです。
そしてモノクロの美しさ。
鏡越しの二人の笑顔の美しいこと!
この映画は全編、声がないからこその、見せる表現の豊かさ、モノクロシーンの美しさに溢れています。
掛け値無しで面白い!
モノクロだから、サイレントだから、という理由で退屈することがありません。
そして何より、実はこの映画はサイレント映画ではありません。
サイレントという手法を使った、現代の映画なのです。
その意味は、観てのお楽しみです。
最近のコメント