NHKと「国益」2008/03/26 01:53:27

NHK経営委員会の古森委員長が、NHKの国際放送では日本の国益を主張すべきだ、と発言したとか。
http://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200803240414.html
http://www.asahi.com/culture/tv_radio/TKY200803250471.html
それでは、NHKは本当に国営放送ということになりますね。

「国益」と言うと何か分かったような気になりますが、一体、「国益」って、何でしょうか? 何を以て「国益」とするのでしょうか?
実際においては、時の政府の主張する事が「国益」とされてしまうのが現実だろうと思います。
だとすると、「国益を主張する」とは、時の政府の主張を代弁する、ということになります。
それは政府の広報であり、それを行うのは言論機関、ジャーナリズム、マスメディアではありません。

古森委員長はNHKを言論機関とは思っていない、ということになります。そういう人物が経営委員会の委員長をやっている。

安倍前総理らによるNHK番組内容への介入事件と、その朝日報道に対するNHKの姿勢から、政治家のNHKの番組内容への介入防止を制度的に担保するまで、受信料支払いを停止する旨、私はNHKへ文書で通知し、それ以来、支払いを行っていません。
勿論、その時が来れば支払いを行うため、その金額は(それなりに(^^;))プールしているのですが、こういう(使いも出来ない)おカネを維持しているのも嫌なので早く支払ってしまいたいのに、更に支払い停止の理由が増えてしまいそうです。

「国益」という言葉は「愛国心」と似ている気がします。
どちらも一見、反対しづらい雰囲気を持っていますが、じゃあ、その中味は? と考えると、一口では言えません。
ある特定の考えが、「国益」や「愛国心」という衣を纏って語られている事が多いように思います。

「国益」が大事だ、「愛国心」が大切だ、と言いますが、では、それが、「正義」や「平和」と相反した時、どちらを取るべきなのでしょうか?
言い換えれば、日本が正義に反する事を行った時に、日本を取るのか、正義を取るのか、ということです。
自称「愛国者」は日本を取るのでしょうか。
でも、私はその時は、「正義」を取りたい。
「正義」のない「国」を守っても、意味はないでしょう。
この国に「正義」をもたらしたい、この国を「正義」の国にしたい、という気持ちこそが、「愛国心」ではないでしょうか?

ただ、自称「愛国者」は日本(自分たち)が正義に反するとは考えたくない。
日本が「正義」に反している、ということを認める事が出来ない。
だから、日本は間違っていない、悪い事はしていない、と思うようにし、日本と正義がイコールでない現実から目を背ける事で、自分の中の矛盾(自分たちが正義についていない、という矛盾)を覆い隠そうとするのでしょう。
その気持ちが、過去の歴史観に向かったのがいわゆる「自虐史観」なのだと思います。

どんな国や民族だって、立派な事ばかりやっているものもなければ、失敗ばかりやっているものもいません。
ただ、やってしまった失敗に対してちゃんと向き合い、謝罪する事が出来なければ、他にやってきた立派な事を誇る事も出来なくなると、思うのです。

※「正義」という言葉自体、「国益」と同様、貘とした、現実には一言では言い表せない言葉です。
ただ、ここでは論旨を端的にするために、敢えて、「正義」と「国益」という形で対比させました。

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