貧困を大きく報道しない国2008/09/29 01:07:28

(朝日新聞 2008年9月28日付/10版/24面/「TVダイアリー」より)

 「ネットカフェ難民」は「貧困」の象徴。拡大する貧困の氷山の一画だと感じます。私がこの問題にかかわるようになったきっかけは、87年に札幌で起きた餓死事件でした。パートかけもちで働く母子家庭の母親が3人の子を残して餓死。体調を崩し福祉事務所で生活保護を求めると「まだ働けるはず」と申請用紙さえ渡されず追い返された末でした。報道すると、「女なら体を売れば良い、と言われた」など涙声の訴えが全国から殺到しました。
 最近でも北九州市の「オニギリ食いたーい」と日記を残した餓死事件など生活保護がからむ悲劇が続いています。背景には、職員にノルマを課してでも保護費を減らそうとする行政や、周囲の厳しい目、当事者自身が生活保護を後ろめたいものだと思わされている風土があります。
 マスコミも不勉強。生活困窮者の実態や制度をあまり報道してきませんでした。
 札幌の餓死事件の後、英国に駐在して驚きました。いざと言う時に保護を求めるのは当然の「権利」。郵便局に申請用紙が置かれ、貧困問題は頻繁に、大きく報道されています。貧困は社会全体の病気。解消しないと国力にも響く。だからこそ大切な問題なのだという国民のコンセンサス。
 他方、日本では「貧困は自己責任」とされがち。報道もマイナーな扱いですが、実は世界ではメジャーな、重要テーマなのです。(水島 宏明 NNNドキュメント・ディレクター)

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