甘粕雅彦2009/01/19 02:02:20

甘粕雅彦と言えば、1923(大正12)年9月16日に起きた関東大震災の混乱の中で、無政府主義者・大杉栄を、共にいた伊藤野枝、甥っ子と共に斬殺し井戸に放り投げた人物(当時、麹町憲兵分隊長)として知られる人物ですが、一面的には図れない傑物であったことは確かなようです。

今、佐野眞一氏が書かれた『甘粕雅彦 乱心の曠野』という本に目を通しているのですが、その中で、佐野氏は、この大杉殺害事件について、甘粕は軍のスケープゴートに去れたのではないか、と言っています。

それはそうとして、ここにこんなことを書き始めたのは、甘粕の"傑物"たることを示した一エピソードに正しく、口を大きく開いて驚いてしまったからです。
これまで特に甘粕の事を知っていた訳ではありませんが、大杉殺害の首謀者というイメージからはほど遠い、実直さ、度量の深さが伺えたからです。

以下、『甘粕雅彦 乱心の曠野』から引用します。
甘粕が1939(昭和14)年11月1日、満州映画協会(満映)の理事長に着任後、日本へ一時帰国した際の話です。

<ここから>===========================

 その頃日本に帰国して国民精神総動員のポスターを見た甘粕が憤慨する場面を、武藤富男が前掲の『甘粕雅彦の生涯』のなかに書きとめている。

 <「日の丸の下に国民精神総動員などという文字を書いたポスターを至るところに貼ってありますが、こんなことで、精神が総動員されると思っているのがまちがいです。宮城の前を電車が通る時、帽子を脱いで頭を下げさせることになったようですが、こんな馬鹿なことをさせる指導者は、人間の心持がわからない人たちです。
 こういうやり方は偽善者を作ることになります。頭を下げたい人は下げたらよろしいし、下げたくなかったら下げなくともよろしい。国に対する忠誠は、宮城の前で頭を下げる下げないで決まるわけではありません」>

<ここまで>===========================

結局、「右」か「左」か、じゃない。真っ当な頭を持ってるかどうか、なんですね。
「思想」が異なっても、同じ土俵に立つことは出来る。

更に、甘粕はこうも言っています。

<ここから>===========================

 武藤が「そういう精神指導は誰がやっているのでしょう」と見えすいたことを尋ねると、甘粕は言下に「そりゃ、軍人どもですよ」と答えた。そして、こうつづけた。
「それから軍人に迎合する人たちですよ。軍人というものは、人殺しが専門なのです。人を殺すのは、異常な心理状態でなければできないことです。一種の気ちがいです」

<ここまで>==========================

身近に自衛隊員の人がいる方にとっては抵抗のある言葉でしょうが、『一種の気ちがい』と言っているのですね。でも、一つの真実を言い当てていると思います。

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