イスラエルの戦争犯罪を告発するユダヤ教徒カウフマン卿の演説2009/01/26 01:20:40

ナチスの亡霊にとりつかれたようなイスラエル。目にあまるパレスチナ人虐殺の惨状の数々。ホロコーストで家族を失ったユダヤ系英国人、ジェラルド・バーナード・カウフマン卿は、2009年1月15日、英国議会下院でガザの悲劇をナチスによる大量虐殺に喩える演説を行った。
(翻訳:宮前ゆかり/TUP)
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「ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士たちよ、ナチスに殺された我が祖母の死を隠れ蓑にするな」
ジェラルド・カウフマン卿

私は正統派ユダヤ教徒として、そして、シオニストとして育てられました。我が家の台所の棚には、ユダヤ民族基金のためのブリキの箱があって、そこに私たちは小銭を入れてはパレスチナにユダヤ人の存在感を築いている開拓者たちを支援していました。

私が初めてイスラエルを訪問したのは1961年で、そのあと行った回数は数え切れません。イスラエルには家族がいましたし、今でもイスラエルに友達がいます。
その一人は1956年、1967年、そして1973年の戦争に従軍し、そのうち二回では、負傷もしました。私が今身につけているタイピンは、その友人に与えられた従軍勲章から作ったもので、彼から贈り物としてもらいました。

私は初代首相ダヴィド・ベン=グリオン以来、イスラエルの首相のほとんどと知り合いです。ゴルダ・メイアは私の友人でしたし、将軍として1948年の独立戦争のときにネゲブでイスラエル勝利を収めた副首相イガル・アロンも友人でした。

私の両親はポーランドから避難民として英国に来ました。両親の親族のほとんどがその後ホロコーストでナチスに殺されました。祖母は、ナチスがスタシュフの町に侵攻したとき、病床にありました。ドイツ軍兵士がベッドに伏せていた祖母を撃ち殺しました。

祖母の死を、ガザにいるパレスチナの祖母たちを虐殺するイスラエル兵士の隠れ蓑にしないでください。現在のイスラエル政府は、パレスチナの人々に対する殺戮行為を正当化するために、ホロコーストにおけるユダヤ人虐殺に対し異教徒たちが抱き続けている罪の意識を冷酷かつ冷笑的に悪用しています。それは、ユダ
ヤ人の命は貴重であるが、パレスチナ人の命は価値がないとする視点を暗黙に示唆しています。

2、3日前のスカイ・ニュース[訳注1]で、イスラエル軍のスポークスパーソンの女性、レイボビッチ曹長が、イスラエル人がその時点で800人ものパレスチナ人を殺していることについて質問を受けていました。ちなみに今の合計数は1000人です。同曹長は即座に「そのうち500人は戦闘員です」と答えました。

それはナチスの兵士の答えそのものでした。ワルシャワ・ゲットーで命をかけて戦っていたユダヤ人たちは、戦闘員だということで無視されたことでしょう。

イスラエル外相ツィピー・リブニは、ハマースはテロリスト組織なので、政府は彼らとは交渉しないと主張しています。リブニ外相の父、エイタン・リブニは、テロリスト組織であるイルグン・ツバイ・レウミの最高運営執行官で、エルサレムのキング・ディビッド・ホテルの爆破を計画した人物です。その事件では4人
のユダヤ人を含む91人が殺され犠牲となりました。

イスラエルはユダヤ人のテロリズムから生まれました。ユダヤ人のテロリストたちは二人の英国人軍曹を縛り首にし、その死体に地雷爆弾を仕掛けました。イルグンはテロリスト組織であるシュテルン・ギャングと一緒に、1948年にデイル・ヤーシーンの村で254人のパレスチナ人の大虐殺[訳注2]を行いました。今日、
現在のイスラエル政府は、好ましい状況ならばファタハのパレスチナ大統領アッバースとの交渉に応じるつもりがあることを示唆しています。それは手遅れというものです。彼らはファタハの前の指導者で私の友人でもあったヤーセル・アラファトと交渉することもできたはずです。それなのに、イスラエル政府はラーマッラーの掩蔽壕にアラファトを軟禁しました。私はその掩蔽壕まで彼を訪ねたものでした。

アラファトの死後、ファタハの権威が失墜したため、ハマースが2006年のパレスチナの選挙で勝利を収めました。ハマースは非常に面倒な組織ですが、民主的に選出され、パレスチナで力を持つ唯一の勢力です。ハマースをボイコットすることは、私たちの政府によるボイコットも含めて、間違いとして咎めるべきです。
その間違いを端緒にして、恐ろしい結果の数々がひき起こされています。

私はかつてイスラエルの偉大な外相であったアバ・エバンと多くの政策で平和のために共闘したものでした。そのエバンが言っていました。「平和を築くためには、敵と話あうものだ」

ガザでどれだけ多くのパレスチナ人をイスラエルが殺したとしても、この実存的問題を軍事的手段で解決することはできません。いつ、どのような形で戦闘が終わろうとも、ガザには150万人のパレスチナ人がいて、くわえて西岸地域には250万人のパレスチナ人がいます。パレスチナ人は、イスラエル人からゴミのように
扱われています。何百ヶ所にものぼる通行止めがあり、身の毛がよだつほど恐ろしいユダヤ人不法入植者から嫌がらせを受けています。そのうち、今から遠くない将来、パレスチナ人人口がイスラエルのユダヤ人人口を上回るときが来るでしょう。

イスラエル政府に対し、同政府の行動および政策は許されないということを私たちの政府が明言し、イスラエルに完全な武器使用禁止令を命じるときがきました。平和を実現するときです。しかしそれは征服による解決ではなく、真の平和でなければなりません。イスラエルの本当の目的は征服による解決ですが、その達成は不可能です。彼らは単なる戦争犯罪者であるばかりではありません。愚か者です。

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ジェラルド・バーナード・カウフマンは労働党員で英国議会議員。カウフマン卿は、英国において2009年1月15日、下院でのガザに関する討論で上記の発言をした。
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[訳注1] イギリスの民放ニュース
[訳注2] デイル・ヤーシーン村の虐殺犠牲者は長らく254人とされてきたが、近年の研究により、首謀者が、パレスチナ人の恐怖を煽るためにその成果を誇張したといことが判明している。実際の犠牲者の数は100〜120名。

この行いの、どこが「自衛」か!?2009/01/26 01:26:42

12月28日夜、暗視装置をつけ、顔を黒く塗ったイスラエル兵約60人と、首に小型カメラをつけた犬2匹が乗り込んできた。兵士らはシアムさんの頭部に機関銃を突きつけ、21人の家族全員を1階の一室に集めて外出を禁じた。
 兵士らは連日、店の菓子やジュースを勝手に取り、イスラエルから持ち込んだサンドイッチや果物を食べ散らかした。空腹の孫が「分けてほしい」と泣いても、「これは兵士の食べ物だ」と拒んだ。
 一家は毛布まで兵士らに取り上げられ、震えながら眠れぬ夜を過ごした。
息子の妻(27)が産気づいた9日、一家はようやく着の身着のままで学校や親類宅に避難することができた。
 「停戦」後に自宅に戻ってみると、兵士らが食べ散らかしたゴミと汚物の山が室内に残されていた。4階のバルコニーには、射撃口にした穴がいくつも開いていた。店に隠しておいた財布からは現金1200ドル全額が抜き取られていた。
 「こんなことは長い人生で初めて。あいつらは戦闘ではなく、盗みにきたんだ」
とシアムさん。子や孫は「怖いから家に帰りたくない」と訴え、20年の思い出の詰まった家を捨てる決心をした。今、アパートを探している。


また昨日の報道ステーションでは独自の取材で同じ村の別の証言が放送されました。

その中でイスラエル兵たちが占拠し廃墟と化した家が映し出されましたが、壁にはヘブライ語の無数の落書きが残され中にはお墓の絵の下に『アラブ人の墓1948〜2009』と書かれているもの、『一人殺した、後は19999人だ』と書かれた物、殺されたパレスチナ人の血で書かれた落書きなどがありました。

見るに耐えないものばかりでしたが、このような兵士たちの行動は私自身がパレスチナで見聞きした2002〜2004年のころのイスラエル兵たちのやり口となんら変わっていなくて、これらが一部兵士の暴走ではなく常にイスラエル軍の規律の中で行われてきたことを実感として味わいました。

私は2002年春のジェニンの軍事侵攻時、17日間占拠された家で
兵士たちが立ち去った後、子どもたちが使っていた人形の手足がもぎ取られていたり、顔を踏んづけてすっかり歪んでしまっていたり、顔に落書きされていたりしていたのを見ました。

また家中の電池や時計などを盗まれたり、ステレオやテレビ
冷蔵庫の食料をすべて窓から放り出された話を聞きました。

クフィアや女性たちのスカーフ、コーランの刺繍の入った布で
汚物を拭き、そこらじゅうに散乱させていた話も何度も聞きました。

イラクブリン村では、兵士たちが日中占拠している建物に、
兵士たちがいない時間にこっそり入った時、食べたお弁当や
村から盗んだお菓子やコーラのペットボトルが散乱しているすさまじく、すさんだ状況を目の当たりにしました。

『感染列島』2009/01/26 01:36:29

2009年1月20日(火)/テアトルサンク
★★★★☆(★5つで満点)
製作:2009年度
監督:瀬々敬久
脚本:瀬々敬久
出演:妻夫木聡/檀れい/国仲涼子/田中裕二(爆笑問題)/池脇千鶴 /カンニング竹山/佐藤浩市/藤竜也
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この映画の瀬々敬久監督はpink映画出身ですが、当時から意欲的な作品を撮ってきた方で、「ピンク四天王」と呼ばれていました。
しかし、しれにしてもこの監督、決して傑作ばかりものしている訳でもないだろうに、コンスタントに撮っています。
一時期の大林監督みたい。
やっぱり、絶対に撮るぞ! という意欲が、他の監督とは違うのでしょうか?

作品は決して満点の出来ではありませんが、そこそこ面白いです。
何より気に入ったのは、
普通、こういうストーリーだと、主人公たちが事態を解決する手段を手に入れるのに奔走し、それを解決してハッピーエンドになるのが常道な訳ですが、この映画はそうではない点です。
妻夫木や壇れいの主人公たちは、勿論、増え続ける病人を救うと共に事態を解決する為に奮闘するし、妻夫木はその核心に近いところまで行くのですが、結局、彼(女)らは自分たちの手で解決することは出来ません。
それを行うのは真っ当な政府機関で、その解決の時期も中心となるドラマからずっと後のことになります。
ではこの映画は何を描いたのかと言うと、そういう追いつめられた状況下で、自分たちの出来ることをぎりぎりまで精一杯やる人たちの、その崇高さを描きたかったのだと思います。
全体の状況の中で人はそれぞれの場所で、それぞれのやるべきことをやる。
妻夫木も壇れいも、その中の一人として描かれているのです。
そこに、感動しました。

明日、地球が滅ぶとも、
今日、君はリンゴの木を植える

開高健が世に出した、有名な詩だそうです。

映画の中で触れられたこの詩が、この映画のテーマを語っていると思います。

ネタバレしてしまい、すみません。(^^;)

出来には今一つ満足出来なくても、心に残る作品、
『感染列島』は、そんな映画でした。
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