『Milk』2009/06/28 02:31:38

2009年6月25日(木)/福井コロナワールド
★★★★☆(★5つで満点)
製作:2008年度
監督:ガス・ヴァン・サント
脚本:ダスティン・ランス・ブラック
出演:ショーン・ペン、エミール・ハーシュ、ジョシュ・ブローリン、ジェームズ・フランコ、ディエゴ・ルナ、アリソン・ピル、ビクター・ガーバー、デニス・オヘア、ジョセフ・クロス、スティーブン・スピネラ、ルーカス・グラビール、ブランドン・ボイス、ハワード・ローゼンマン、ケルビン・ユー

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「全ての人は少数派である」という言葉を思い出していた。

ハーヴェイ・ミルクは、自らがそうであるゲイを代表しただけではない。高齢者、障害者、貧しい者、全ての少数派の為に闘った。
多くの者は自らを多数派だと思い込み、「少数派」の人たちのことには思いが及ばない。逆に「少数派」が何か異議を立てると、皆がこれでいいと思っているのに勝手なことを、と反感を抱く。

だが、私たちは、何かの意味で必ずや、少数派だ。例え、今そうでなくとも、時として簡単に少数派に変わってしまう。
ゲイであることは、その端的な場合だ。ゲイでなくとも、その性癖、何かに対する意見、そのいずれか、幾つかで、私たちは、内心、少数派であることが多い筈だ。
だが、そのことを押し隠して、私たちは大抵、「多数派」の振りをする。
その方が取り敢えず、「安全」だから。

突然、自分の土地が公共事業で強制収容の対象になったり、会社が倒産、あるいは解雇されたり、苛めなどで、いづらくさせられたり。病気や怪我による失業、障害をもった場合。そして、老いにより誰もが遅かれ早かれ、障害者になってゆく。

あらゆる意味で、全ての人は少数派だ。
少数派のモザイクでこの社会は成り立っているのに、私たちは自らが少数派であること、少数派になることを忘れ、「多数派」のつもりになり傲慢になる。

ミルクを殺害したダン・ホワイトさえ、恐らく少数派だった。そのことを自らの心の底に押さえ込み、自分のことを多数派だと思い込み、ハーヴェイ・ミルクを嫌悪した。
ダンとハーヴェイを別ったのは、自らを認める勇気と、その上での他者への理解と寛容だったろう。

だから、ミルクは、全ての人の代表として、全ての人と闘ったのだ。
事実を受け容れようとせず、他者を断罪しようとする意識と。

ゲイを教職から追放しようとする提案6号への反対集会で、一人の母親が言う。
「この条例が通ったら、子供たちは、自分と違う人たちを理解することをどこで学べばいいの」

別の集会で、ある男性は叫ぶ。
「一人の権利を奪うことは、全ての人の権利を奪うことになるんだ!」と。

ミルクの回りに多くの少数派が集まり、ということは、そこには、この社会が抱える多くの問題が立ち現れることになる。
怯えながらも闘い通した彼の意志に惹かれるように、多くの問題がそこに集まってくる。
言い換えれば、ハーヴェイ・ミルクは命を賭して、それを私たちに示してくれたのだ。

誰かがそれを、引き継がねばならない。
だから、この映画は作られたのだ。
私たちが観るために。
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