映画「靖国」上映妨害問題 ― 2008/04/02 01:29:43
毎日新聞の社説です。
非常な危機感を感じます。全く同感です。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080402k0000m070158000c.html
某映画館で以前、南京虐殺事件をテーマにした映画を上映した際、右翼の妨害を警戒して刑事が劇場に来ていたそうです。
映画館が要請したのではなく、当時、右翼が映画館のスクリーンを切り裂く事件があったため、警察の方から来ていたのだそうです。
知らず知らずのうちに、この国は自由に映画も上映出来ない国になっているのですね。
いえ、知らず知らずのうちに、というのはおかしい。
先の、日教組の大会を拒絶したプリンスホテルの事件や、今回の「靖国」上映妨害事件を黙殺する事で、私たち自身が、そのような国にしているのです。
非常な危機感を感じます。全く同感です。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080402k0000m070158000c.html
某映画館で以前、南京虐殺事件をテーマにした映画を上映した際、右翼の妨害を警戒して刑事が劇場に来ていたそうです。
映画館が要請したのではなく、当時、右翼が映画館のスクリーンを切り裂く事件があったため、警察の方から来ていたのだそうです。
知らず知らずのうちに、この国は自由に映画も上映出来ない国になっているのですね。
いえ、知らず知らずのうちに、というのはおかしい。
先の、日教組の大会を拒絶したプリンスホテルの事件や、今回の「靖国」上映妨害事件を黙殺する事で、私たち自身が、そのような国にしているのです。
東京都教育委員会 ― 2008/04/03 01:28:35
映画「靖国YASUKUNI」上映妨害問題 ― 2008/04/03 01:47:37
4月2日付けの全国主要紙ー朝日、毎日、東京、読売、産経が、いずれも映画「靖国YASUKUNI」の上映妨害問題を社説で取り上げました。
異例の事態です。
朝日
http://www.asahi.com/paper/editorial20080402.html?ref=any
http://www.asahi.com/paper/editorial20080330.html
毎日
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080402k0000m070158000c.html
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20080402k0000m070154000c.html
読売
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080401-OYT1T00816.htm?from=any
東京
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008040202000319.html
産経
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080402/tnr0804020305000-n1.htm
日頃、主張の異なる各紙ともさすがに危機感を抱いたということなのでしょうが、それでも、読売は櫻井よしこ氏の講演妨害事件も並べて、悪いのは右翼だけじゃない、みたいなスタンスを出してますし(この類いの事件では、東京都国立市が予定していた上野千鶴子教授の講座が東京都からのクレームで中止になった事件もあります)、産経に至っては、さすがにこれは何か言っておかないとまずい、という理由で社説を出したのでは? 本音は違う、みたいなところが伺われます。『憲法を持ちだす問題だろうか』、と疑問を呈しているのには、本当にこの人たちは新聞記者なのか? と思わざるを得ません。
今回の事件を引き起こしたのは稲田朋美代議士の事前試写会要求ですが、稲田代議士は外国人特派員協会で記者会見を行ったようです。
http://www.news.janjan.jp/government/0803/0803283785/1.php
しかしながら、
試写会を要求した時点でこの映画についてそれなりに情報収集をした筈だから、この時に、4月には一般公開される事は分かっていた筈。
それなのに、
『この映画を見たいと文化庁に言った。……私たちの勉強会に文化庁が借りてきて映画を見せるということになっていた』と言いながら、
『公開の前に見せろと要求したことはない』
と言っているのは理屈が分かりません。
また、この映画への公的助成金拠出をおかしいと言っていますが、稲田代議士自身、この映画は見させる(力のある)映画だ、と会見上、言っています。だったら、この映画は、映画として、表現として価値があるということであり、文化創作への助成金拠出の対象としては間違いではない、ということです。
しかし、外国人特派員協会での記者会見というのは、どうなのでしょう?
勿論、それ自体はどんどんやってもらえばいいのですが、それより先に、何故、国内報道機関との記者会見がないのか?
おかしいです。
異例の事態です。
朝日
http://www.asahi.com/paper/editorial20080402.html?ref=any
http://www.asahi.com/paper/editorial20080330.html
毎日
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080402k0000m070158000c.html
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20080402k0000m070154000c.html
読売
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080401-OYT1T00816.htm?from=any
東京
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008040202000319.html
産経
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/080402/tnr0804020305000-n1.htm
日頃、主張の異なる各紙ともさすがに危機感を抱いたということなのでしょうが、それでも、読売は櫻井よしこ氏の講演妨害事件も並べて、悪いのは右翼だけじゃない、みたいなスタンスを出してますし(この類いの事件では、東京都国立市が予定していた上野千鶴子教授の講座が東京都からのクレームで中止になった事件もあります)、産経に至っては、さすがにこれは何か言っておかないとまずい、という理由で社説を出したのでは? 本音は違う、みたいなところが伺われます。『憲法を持ちだす問題だろうか』、と疑問を呈しているのには、本当にこの人たちは新聞記者なのか? と思わざるを得ません。
今回の事件を引き起こしたのは稲田朋美代議士の事前試写会要求ですが、稲田代議士は外国人特派員協会で記者会見を行ったようです。
http://www.news.janjan.jp/government/0803/0803283785/1.php
しかしながら、
試写会を要求した時点でこの映画についてそれなりに情報収集をした筈だから、この時に、4月には一般公開される事は分かっていた筈。
それなのに、
『この映画を見たいと文化庁に言った。……私たちの勉強会に文化庁が借りてきて映画を見せるということになっていた』と言いながら、
『公開の前に見せろと要求したことはない』
と言っているのは理屈が分かりません。
また、この映画への公的助成金拠出をおかしいと言っていますが、稲田代議士自身、この映画は見させる(力のある)映画だ、と会見上、言っています。だったら、この映画は、映画として、表現として価値があるということであり、文化創作への助成金拠出の対象としては間違いではない、ということです。
しかし、外国人特派員協会での記者会見というのは、どうなのでしょう?
勿論、それ自体はどんどんやってもらえばいいのですが、それより先に、何故、国内報道機関との記者会見がないのか?
おかしいです。
映画「靖国YASUKUNI」の上映妨害は暴力団の脅しと同じ ― 2008/04/04 23:53:22
右翼「一水会」の元代表、鈴木邦男さんも、映画「靖国YASUKUNI」の上映妨害活動に反対しています。
http://kunyon.com/shucho/080331.html
映画上映への妨害活動は思想・信条に係るものなどではなく、暴力を背景にした脅迫に過ぎない事がよく分かります。
昨日、たまたまTVで「ミンボーの女」を放映しているのを観、今回の事件を連想して仕方ありませんでした。
未見ですが同じようなテーマで「暴力の街」(山本薩夫監督、1950年)という映画もありますね。
http://kunyon.com/shucho/080331.html
映画上映への妨害活動は思想・信条に係るものなどではなく、暴力を背景にした脅迫に過ぎない事がよく分かります。
昨日、たまたまTVで「ミンボーの女」を放映しているのを観、今回の事件を連想して仕方ありませんでした。
未見ですが同じようなテーマで「暴力の街」(山本薩夫監督、1950年)という映画もありますね。
小田実『何でも見てやろう』を読んで ― 2008/04/05 01:38:03
昨年7月に亡くなった小田実氏の『何でも見てやろう』を今さらながら読んでいます。
前々から読もうと思いつつ、氏が亡くなったのを期にやっと手に取った次第。
お恥ずかしい。
氏の「まあなんとかなるやろ」というエネルギッシュな行動と、どんな境遇でも物怖じせず、ガールフレンドを作ってしまう(笑)度量っぷりが非常に面白く、読み進めたのですが、
これと前後してたまたま『私たちは、脱走兵を越境させた』(高橋武智著)を読んでいて、ここにも出てくる小田実氏の活動の背景にはこういうことがあったのか、ということを知ることができたのも、嬉しい偶然でした。
その『何でも見てやろう』の一節です。
パリ、凱旋門の辺りをアメリカの女の子とぶらついていた氏は、凱旋門の真下にある無名戦士の墓で毎夕行われる儀式にたまたま行き当たります。
「ラ・マルセイエーズ」が奏される中、在郷軍人会の黙祷と共に二人も頭を垂れるのですが、その時、氏は、ぼろぼろと泣いてしまいます。
女の子に、何故泣いたのかを訊かれ、氏はその理由をこう書いています。
少し長くなりますが、引用します。
『私が泣いたのは、むくわれずして死んでいった同胞たちの事を、そのとき、思い出したからだった。戦死者はフランスにもアメリカにもあった、というのなら、私はただ一つの事だけ言っておこう。彼らには、とにもかくにも、ナチズム、ファシズム打倒という目的があった。だが、私の同胞たちには、いったい何があったのか。彼らの死は全くの犬死にであり、彼らをその犬死にに追いやった張本人の一人は、ついこの間まで、われらの「民主政府」の首相であり、口をぬぐって「民主主義」(彼らはたしかそれとの戦いの中で殺されたのではなかったのか)を説いている。ーー
そのすべての思いが、そのとき、凱旋門で私の胸にきたのだった。いったい、彼らは何のために死んだのだ? 私は繰り返し思った。彼らーーそれは私の同胞ばかりの事ではなかった。ドイツの兵士のことであり、イタリアの兵士のことでもあった。いや、今やアルジェリアに駆り出されて、死に直面させられている当のフランスの兵士のことでもあった。
こうした私の涙は、アメリカでもヨーロッパでもやっていることだからといって、巨大な無名戦士の墓とやらをおったて、そのまえで、あるいは靖国神社の大鳥居の前で、鳴り物入りで自衛隊の行進をやってみせるというようなことには、決して結び付かないであろう。アメリカ人はみんな愛国心を持っている。我々も持たなくちゃいかん、というような視察旅行の代議士氏の結論にも結び付かないであろう。アメリカはどこに行っても星条旗がかかげてある、だから、我々も日章旗をおったてるべきだという議論にも、結び付かないだろう。おそらく、それらのむくわれざる死者をして安らかに眠らしめるただ一つの道は、判りきったことだが、ふたたび、このような死者を出さないこと、それ以外にはないのだ。すくなくとも、もし私の涙が結び付くものがあるとすれば、それはそこにおいてしかない。そして、二年間の旅を通じて私の体内にも何ほどかのナショナリズム、あるいは「愛国心」というものが芽生えてきているとしたら、それは、たぶん、その結び付きから生まれ出てきたものなのであろう。』
(『何でも見てやろう』小田実著。講談社文庫。421ページ)
どんな戦争であれ、兵として戦場へ赴くことになった者は、家族を思い、その無事を願って、行った事でしょう。
そのことに、どの国の兵であれ違いはない筈です。
ここで犬死にと言っているのは、何のための戦争、どういう戦争のためだったのか、ということを言っています。
先の戦争で、日本が自らの利益(「国益」?)のために中国、朝鮮、他のアジア諸国を侵略し略奪したのは明らかです。「五族共和」や「王道楽土」はそのための詭弁に過ぎませんでした。
嘘の題目で戦場へ駆りだした者を、死してなお、同じ題目で祀ろうとするのは、二重に死者を騙し、冒涜することではないでしょうか?
本当に先の戦争での死者を弔うのなら、そのような事態を起こしてしまったことの真相を明らかにし、その過ちを反省し、二度と同じ轍を踏まないようにする、そうするしかないのではないでしょうか?
前々から読もうと思いつつ、氏が亡くなったのを期にやっと手に取った次第。
お恥ずかしい。
氏の「まあなんとかなるやろ」というエネルギッシュな行動と、どんな境遇でも物怖じせず、ガールフレンドを作ってしまう(笑)度量っぷりが非常に面白く、読み進めたのですが、
これと前後してたまたま『私たちは、脱走兵を越境させた』(高橋武智著)を読んでいて、ここにも出てくる小田実氏の活動の背景にはこういうことがあったのか、ということを知ることができたのも、嬉しい偶然でした。
その『何でも見てやろう』の一節です。
パリ、凱旋門の辺りをアメリカの女の子とぶらついていた氏は、凱旋門の真下にある無名戦士の墓で毎夕行われる儀式にたまたま行き当たります。
「ラ・マルセイエーズ」が奏される中、在郷軍人会の黙祷と共に二人も頭を垂れるのですが、その時、氏は、ぼろぼろと泣いてしまいます。
女の子に、何故泣いたのかを訊かれ、氏はその理由をこう書いています。
少し長くなりますが、引用します。
『私が泣いたのは、むくわれずして死んでいった同胞たちの事を、そのとき、思い出したからだった。戦死者はフランスにもアメリカにもあった、というのなら、私はただ一つの事だけ言っておこう。彼らには、とにもかくにも、ナチズム、ファシズム打倒という目的があった。だが、私の同胞たちには、いったい何があったのか。彼らの死は全くの犬死にであり、彼らをその犬死にに追いやった張本人の一人は、ついこの間まで、われらの「民主政府」の首相であり、口をぬぐって「民主主義」(彼らはたしかそれとの戦いの中で殺されたのではなかったのか)を説いている。ーー
そのすべての思いが、そのとき、凱旋門で私の胸にきたのだった。いったい、彼らは何のために死んだのだ? 私は繰り返し思った。彼らーーそれは私の同胞ばかりの事ではなかった。ドイツの兵士のことであり、イタリアの兵士のことでもあった。いや、今やアルジェリアに駆り出されて、死に直面させられている当のフランスの兵士のことでもあった。
こうした私の涙は、アメリカでもヨーロッパでもやっていることだからといって、巨大な無名戦士の墓とやらをおったて、そのまえで、あるいは靖国神社の大鳥居の前で、鳴り物入りで自衛隊の行進をやってみせるというようなことには、決して結び付かないであろう。アメリカ人はみんな愛国心を持っている。我々も持たなくちゃいかん、というような視察旅行の代議士氏の結論にも結び付かないであろう。アメリカはどこに行っても星条旗がかかげてある、だから、我々も日章旗をおったてるべきだという議論にも、結び付かないだろう。おそらく、それらのむくわれざる死者をして安らかに眠らしめるただ一つの道は、判りきったことだが、ふたたび、このような死者を出さないこと、それ以外にはないのだ。すくなくとも、もし私の涙が結び付くものがあるとすれば、それはそこにおいてしかない。そして、二年間の旅を通じて私の体内にも何ほどかのナショナリズム、あるいは「愛国心」というものが芽生えてきているとしたら、それは、たぶん、その結び付きから生まれ出てきたものなのであろう。』
(『何でも見てやろう』小田実著。講談社文庫。421ページ)
どんな戦争であれ、兵として戦場へ赴くことになった者は、家族を思い、その無事を願って、行った事でしょう。
そのことに、どの国の兵であれ違いはない筈です。
ここで犬死にと言っているのは、何のための戦争、どういう戦争のためだったのか、ということを言っています。
先の戦争で、日本が自らの利益(「国益」?)のために中国、朝鮮、他のアジア諸国を侵略し略奪したのは明らかです。「五族共和」や「王道楽土」はそのための詭弁に過ぎませんでした。
嘘の題目で戦場へ駆りだした者を、死してなお、同じ題目で祀ろうとするのは、二重に死者を騙し、冒涜することではないでしょうか?
本当に先の戦争での死者を弔うのなら、そのような事態を起こしてしまったことの真相を明らかにし、その過ちを反省し、二度と同じ轍を踏まないようにする、そうするしかないのではないでしょうか?
「私のマルクス」(佐藤優 著) ― 2008/04/28 00:51:41
「私のマルクス」を読みました。
元外務省高官で、鈴木宗男代議士の汚職疑惑関連で逮捕、起訴された佐藤優氏の著作です。
今は保釈され、上告中のようですが、雑誌への寄稿や著作を見ると、学問に造詣が深いようで、ちょっと変わった方のようです。
この本は著者の高校から大学院にかけての自伝のようなものですが、マルクス主義と無神論という大きな2本柱に学問の精力を傾けていた当時の様子が伝わってきます。
マルクス主義と無神論! 汚職関連で逮捕された人物という印象からは大分、異なります。この本を読んだだけでも、生半可な知識でないようで、そこら辺のいい加減な評論家や学者は吹っ飛んでしまいそうです。
しかも、同志社神学部にいたということはボンヤリと知っていましたが、どうも私と同じ4年間を京都で過ごしていたらしい、ということが分かりました。
佐藤氏は院にも行ったので更に2年長いのですが、1979年入学とは、私と同じです。
私は立命館でしたが、最初の2年は広小路学舎にいて同志社は近かったですし、実際、同志社のキャンパスや、本にも出てくる、烏丸通り向かいの学生会館らしき所にも行った覚えがあります。多分、何かの上映会だったのでしょう。
また、先日、15年振りくらいで大学時代のサークル仲間と京都で集まったのですが、その時行った、四条京阪のレストラン「キエフ」は、当時、佐藤氏の所属した神学部自治会の行きつけだったそうで、思わぬ懐かしさを感じてしまいました。
ただ、当時、私の世代は既に大学紛争も終わり、平和な日々を過ごしていたのですが(^^;)、同じ時に同志社では、まだ熱い闘いが終わっていなかったのだとこの本で知り、驚きました。
元外務省高官で、鈴木宗男代議士の汚職疑惑関連で逮捕、起訴された佐藤優氏の著作です。
今は保釈され、上告中のようですが、雑誌への寄稿や著作を見ると、学問に造詣が深いようで、ちょっと変わった方のようです。
この本は著者の高校から大学院にかけての自伝のようなものですが、マルクス主義と無神論という大きな2本柱に学問の精力を傾けていた当時の様子が伝わってきます。
マルクス主義と無神論! 汚職関連で逮捕された人物という印象からは大分、異なります。この本を読んだだけでも、生半可な知識でないようで、そこら辺のいい加減な評論家や学者は吹っ飛んでしまいそうです。
しかも、同志社神学部にいたということはボンヤリと知っていましたが、どうも私と同じ4年間を京都で過ごしていたらしい、ということが分かりました。
佐藤氏は院にも行ったので更に2年長いのですが、1979年入学とは、私と同じです。
私は立命館でしたが、最初の2年は広小路学舎にいて同志社は近かったですし、実際、同志社のキャンパスや、本にも出てくる、烏丸通り向かいの学生会館らしき所にも行った覚えがあります。多分、何かの上映会だったのでしょう。
また、先日、15年振りくらいで大学時代のサークル仲間と京都で集まったのですが、その時行った、四条京阪のレストラン「キエフ」は、当時、佐藤氏の所属した神学部自治会の行きつけだったそうで、思わぬ懐かしさを感じてしまいました。
ただ、当時、私の世代は既に大学紛争も終わり、平和な日々を過ごしていたのですが(^^;)、同じ時に同志社では、まだ熱い闘いが終わっていなかったのだとこの本で知り、驚きました。
「ブラックサイト」 ― 2008/04/29 01:28:23
ダイアン・レインが逆さ吊りにされる、という、いささか変態チックな興味に釣られて観て見ましたが、(^^;)
げ〜、気色悪ぅ〜い映画でした。
これはこれで作り方間違ってないんでしょうが、何か、この先には絶望しか見えない、という話なんですねぇ。
とイヤな感じで映画館を出たら知り合いに会いまして、久しぶりに話をしてたら、今日はBSで「トスカーナの休日」をやってたことを思い出して、これもダイアン・レイン。しまった! と思ったけど後の祭りでした。
げ〜、気色悪ぅ〜い映画でした。
これはこれで作り方間違ってないんでしょうが、何か、この先には絶望しか見えない、という話なんですねぇ。
とイヤな感じで映画館を出たら知り合いに会いまして、久しぶりに話をしてたら、今日はBSで「トスカーナの休日」をやってたことを思い出して、これもダイアン・レイン。しまった! と思ったけど後の祭りでした。
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