この行いの、どこが「自衛」か!?2009/01/26 01:26:42

12月28日夜、暗視装置をつけ、顔を黒く塗ったイスラエル兵約60人と、首に小型カメラをつけた犬2匹が乗り込んできた。兵士らはシアムさんの頭部に機関銃を突きつけ、21人の家族全員を1階の一室に集めて外出を禁じた。
 兵士らは連日、店の菓子やジュースを勝手に取り、イスラエルから持ち込んだサンドイッチや果物を食べ散らかした。空腹の孫が「分けてほしい」と泣いても、「これは兵士の食べ物だ」と拒んだ。
 一家は毛布まで兵士らに取り上げられ、震えながら眠れぬ夜を過ごした。
息子の妻(27)が産気づいた9日、一家はようやく着の身着のままで学校や親類宅に避難することができた。
 「停戦」後に自宅に戻ってみると、兵士らが食べ散らかしたゴミと汚物の山が室内に残されていた。4階のバルコニーには、射撃口にした穴がいくつも開いていた。店に隠しておいた財布からは現金1200ドル全額が抜き取られていた。
 「こんなことは長い人生で初めて。あいつらは戦闘ではなく、盗みにきたんだ」
とシアムさん。子や孫は「怖いから家に帰りたくない」と訴え、20年の思い出の詰まった家を捨てる決心をした。今、アパートを探している。


また昨日の報道ステーションでは独自の取材で同じ村の別の証言が放送されました。

その中でイスラエル兵たちが占拠し廃墟と化した家が映し出されましたが、壁にはヘブライ語の無数の落書きが残され中にはお墓の絵の下に『アラブ人の墓1948〜2009』と書かれているもの、『一人殺した、後は19999人だ』と書かれた物、殺されたパレスチナ人の血で書かれた落書きなどがありました。

見るに耐えないものばかりでしたが、このような兵士たちの行動は私自身がパレスチナで見聞きした2002〜2004年のころのイスラエル兵たちのやり口となんら変わっていなくて、これらが一部兵士の暴走ではなく常にイスラエル軍の規律の中で行われてきたことを実感として味わいました。

私は2002年春のジェニンの軍事侵攻時、17日間占拠された家で
兵士たちが立ち去った後、子どもたちが使っていた人形の手足がもぎ取られていたり、顔を踏んづけてすっかり歪んでしまっていたり、顔に落書きされていたりしていたのを見ました。

また家中の電池や時計などを盗まれたり、ステレオやテレビ
冷蔵庫の食料をすべて窓から放り出された話を聞きました。

クフィアや女性たちのスカーフ、コーランの刺繍の入った布で
汚物を拭き、そこらじゅうに散乱させていた話も何度も聞きました。

イラクブリン村では、兵士たちが日中占拠している建物に、
兵士たちがいない時間にこっそり入った時、食べたお弁当や
村から盗んだお菓子やコーラのペットボトルが散乱しているすさまじく、すさんだ状況を目の当たりにしました。

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